たっちゃん

作成時期不明

 その日、いつものように、

「ぼくを遊んであげて!」

 と言いながら、一気に運動場へ駆け下りたたっちゃんは、子どもたちの様子が昨日までとまるで違っていることに気がつきました。

 大声で呼びかけても誰一人返事をする者もありません。ファウルボールを拾うのはたっちゃんの役目だったのですが、たっちゃんが拾うよりも早く、さっと別の子どもが拾ってしまいます。そして、子どもたちの一人残らずが、たっちゃんの顔をわざと見ないようにしているのです。

「ねえ、ぼくを遊んであげてよ!」

「仲間はずれにするとぼくが可愛そうじゃないか」

「ねえ、ぼくを野球に入れて上げてよ」

 たっちゃんは例のちょっと変わった言葉遣いでひとりひとりの子どもにお願いをして回るのですが、みんな困ったように顔をそむけて黙ってしまいます。結局たっちゃんは、もとの土手の上に座って子どもたちが元気に遊ぶ様子をしょんぼりとうらやましそうに眺めているしかありませんでした。

「ねえ、あなた?」

「ん?」

「私たち間違ったことをしたのではないかしら…」

 よしおくんのお母さんは、その夜、よしおくんが寝静まるのを待ってためらいがちに切り出しました。

「だってよしおの話しだと、あの時たっちゃんとかいう中学生は、野球で捻挫したよしおを背負って自分の家とはまるっきり反対方向の、それも町外れのわが家まで、わざわざ送ってくれたわけでしょう?それをあんなふうに追い返しただけでなく、学校に出かけて行って校長先生に苦情まで言うなんて…」

「何を言ってるんだ母さん、あの子は頭が少し変だから、今は良くてもそのうち何をするか解らない。第一、中学生が学校にも行かず小学生と野球をしていること自体が問題だと言ったのは母さんじゃないか」

「そりゃあ、そうだけど…」

「今朝は担任の先生がそれぞれのクラスの子どもたちに、あの中学生とは絶対に遊ばないようにと厳しく注意して下さったはずだ。これであの子があきらめて明日からちゃんと中学へ登校するようになれば、それはあの子にとってもプラスになることなんだよ」

「そうかしら…」

「そうだとも。それよりもよしおの足、この分では今度のさよなら合宿は、どうやらびっこを引いて参加することになりそうだ」

「そうね、あんなに楽しみにしている合宿ですもの、休ませるのは可哀想よね」

 二人はそう言うと、野球のグローブを枕元に置いてすやすやと眠っているよしおくんの寝顔を目を細めて覗き込むのでした。

 * * * * *

 四年生のさよなら合宿は、夏休みに入る直前の、良く晴れた日曜日の午後から行われました。何しろみんな学校の教室で一夜を過ごすなんて初めての経験ですから、すっかり興奮してしまい、まるでオモチャ箱をひっくり返したような騒ぎです。

「皆さん、今日は夏休みの間に取り壊すことになった、この古い木造校舎と名残を惜しむためのお別れ合宿ですから、机の落書きや柱のキズのひとつひとつまで大切に心に刻み込みながら楽しく一晩を過ごすことにいたしましょう」

 という校長先生の挨拶が終わるのを待ち構えていたように、子どもたちは運動場の思い思いの場所に陣取って、クラス毎にはんごう炊さんの準備です。せっせと薪を運ぶ者、工夫してかまどを作る者、野菜を切る者、お米を洗う者…。自分たちの手でカレーライスを作るのも、子どもたちにとっては初めての経験です。足の悪いよしおくんは、一番動かなくても済む火の番をすることになりました。土手の上から眺めると、よしおくんの足の包帯の白さだけが痛々しいほど鮮やかです。真っ黒な学生服を着て両足を投げ出した格好でその様子を心配そうに眺めている身体の大きな中学生は、もちろんたっちゃんでした。