たっちゃん

作成時期不明

「おお!」

 というどよめきが上がりました。炎に包まれた校舎から、黒い影がひとつ吐き出されたかと思うと、ゆっくりと近づいて来るではありませんか。それが、よしおくん背負った、たっちゃんであることが解った時、どよめきは歓声に変わりました。

「よしお!よしお!」

 お父さんとお母さんは、顔を涙でぐしゃぐしゃにしながら駆け寄ります。

「よしおくん、大丈夫か!」

「怪我はないか!」

 ぐるりと二人を取り巻いた人垣の中から、

「よかった、よしお、よかったわね!」

 お母さんがよしおくんをしっかりと抱きしめるのを見届けると、たっちゃんは安心したようにその場に崩れ落ちました。

 よしおくんの怪我が軽い分、たっちゃんの怪我は大変でした。

「誰か!誰か救急車を!」

 という声が遠ざかって行きます。そして、真っ白な救急車がけたたましく到着した時には、たっちゃんは意識を失っていたのです。

 * * * * *

『火の海から小学生を救出、お手柄の中学生』

 という見出しの新聞記事は、それまでたっちゃんのことをこころよく思っていなかった人たちの考えをすっかり変えてしまいました。もう誰も気味が悪いと言う者はありません。言葉遣いを非難する者もありません。それどころか感謝状を出そうという話まで持ち上がって、今やたっちゃんは町の英雄でした。

 そんな中で、小学校の校長先生の心は、岩のような後悔で今にもつぶれてしまいそうでした。たっちゃんは何一つ悪いことはしていません。命を投げ出すほど深く強く子どもたちを愛していたのです。そのたっちゃんと口を利くことすら禁止した自分は何というひどいことをしたのでしょう。誰からも相手にされなくなったたっちゃんは、いったいどんなに淋しい思いをして毎日運動場をながめていたのでしょう。何としてもたっちゃんに心からお詫びをしなければなりません。

 それは、よしおくんのお父さんとお母さんも同じ思いでした。いいえ、先生たちに言われて仕方なくたっちゃんと遊ばないようにしていた子どもたちまでが、どうやら同じ思いを抱いていたようです。

 誰言うともなく千羽鶴が折られ、校長先生のところへ届けられました。感謝と激励と、そして友情を託したたどたどしい手紙が、生徒の数だけ寄せられました。誰に言われなくても、子どもたちが自分たちで考えてそうしていることに校長先生は感動していました。かつて子どもたちの心がこれほど美しい方向にまとまりを見せたことがあったでしょうか。お見舞いには何人かの代表をと考えていた校長先生は、思い切って全員を連れて行くことに決めました。病室に入れない子どもたちは、病院の中庭に集まればいいでしょう。子ども好きのたっちゃんは、病室の窓を開けてこんなに大勢の子どもたちが見舞いに来てくれたことを知れば、どんなにか喜ぶに違いありません。先生たちはもちろんのこと心ある保護者はわれもわれもと参加したために、お見舞いはちょっとした行列になりました。みんなたっちゃんの喜ぶ顔を想像していただけに、病院の受け付で、

「患者さんは昨日のうちに退院されました」

 と聞かされた時の驚きはとても言い表すことはできません。たっちゃんの活躍の新聞を読んだ父親に居どころを捜し当てられるのを恐れて、たっちゃん母子は鳥が飛び立つようにあわただしく別の町へと引っ越して行ったのです。

 * * * * *

 子どもたちが野球をしています。その中にはすっかり足も治って、元気にボールを追いかけるよしおくんの姿もありました。

 焼けた校舎はすっかりきれいに片付けられて新しい鉄筋の校舎を建てるための工事が始まり、火事の爪あとは霜が融けるように急速に消えてゆきます。しかし、誰かがファウルボールを打つ度に、みんな一様に土手の上を気にします。赤い炎の中からよしおくんを背負って歩いて来るたっちゃんのたくましい姿は、

「ボクを遊んであげて!」

 と大声を張り上げながら一気に土手を駆け下りてくる無邪気なたっちゃんの姿と重なって、子どもたちの心の奥に鮮やかに焼きついているのです。