エドワード夫人の散歩

作成時期不明

「そうです。いいですか?私たち人間と同じように、犬が他の犬と出会って元気がなくなってしまうのには主に三つの原因が考えられます。ひとつは奥様のおっしゃる通り臆病で気が小さい場合…これは薬で何とかなるかも知れません。もうひとつは実際に相手よりも自分の方が力が弱い場合ですが、これはどうすることもできません。そしてもうひとつは犬に何か劣等感がある場合ですが、この場合は薬よりもまず劣等感の原因を取り除いてやるのが先決です」

 劣等感という言葉を聞くと、夫人は久しぶりにあの悪魔のような全身鏡を思い出して少し不愉快な気分になりましたが、今は犬の話をしているのです。自分の劣等感とは関係がありません。

「では伺いますが、先生がおっしゃるその犬の側の理由とやらを確かめるには一体どうしたらよいといわれるのですか?」

 エドワード夫人が尋ねようとするとそれよりも早く、デイビット先生は戸棚からイヤホーンのついた丁度ラジオのような形の機械を取り出して夫人に手渡しながら言いました。

「このイヤホーンを耳に当てて、ブルドッグが他の犬とすれ違う時にスイッチを入れてごらんなさい。ブルドックの気持が聞こえて来るはずです」

 * * * * *

 『犬の心理解読機』と書かれたラジオの様な機械を肩からぶら下げて、エドワード夫人は町に出ました。例によって銀の鎖の先には目も覚めるような首輪をつけたブルドッグがのっしのっしと歩いて行きます。しばらく行くと向こうからプードルを連れた若い女性がやって来ました。夫人は機械のスイッチを入れてイヤホーンから聞こえて来る音に耳を傾けました。初めのうちはザーッという波の音の様な雑音が聞こえていましたが、やがてブルドックが尻尾を巻いてがっくりと首をうなだれると同時に、まるでコンピーュータがしゃべるような途切れ途切れの声がこう繰り返したのです。

「アア ハズカシイ ハズカシイ。 ボクホドスバラシイイヌガ コンナ ミニクイニンゲンヲ ツレテアルカナケレバナラナイナンテ ナサケナイ。アア ハズカシイ ハズカシイ。 ボクホドスバラシイイヌガ コンナ ミニクイニンゲンヲ ツレテアルカナケレバナラナイナンテ ナサケナイ」

 エドワード夫人は全身に電気が走るような衝撃を受けました。犬を連れて散歩をしているエドワードと同じように、犬の方もエドワード夫人を連れて散歩をしているつもりでいたのです。それどころか自分の連れている犬が負け犬であることを恥ずかしがっていたエドワード夫人と同じように、犬の方でも自分の連れている人間がエドワード夫人であることを恥ずかしがっていたのです。

 夫人は鎖を持つ手を離しました。

 犬の形をしたエドワード夫人の優越感は、檻からも鎖からも解き放たれて一目散に逃げて行きます。そして忘れていた劣等感が婦人の心に戻って来ました。走り去るブルドッグの後姿が小さくなり、やがて見えなくなっても、エドワード夫人は身動きひとつせずにその場に立ち尽くしていたのです。