山寺の和尚さん
作成時期不明
山寺には、それはそれは偉い和尚さんが住んでいました。山寺というと、ひどく小さなお寺のように聞こえますが、決してそうではありません。そこには、いつも、二百人以上の若いお坊さんたちが修行していたといいますがら、お寺としてはなかなか立派なものです。週に一度だけ大勢の前でお説教をし、特別おカネ持ちの家のお葬式や法事に出かけて行くほかは、来る日も来る日も部屋に閉じこもったきり、本を読んだり書を書いたりの和尚さんの毎日は、とても退屈なものでした。時には大声で鼻歌を唄ったりお酒を飲んで騒いだりしてみたいのですが、ほかの者たちの手前そういう訳には行きません。
(偉くなるのも考えもんだなあ…)
和尚さんは思いました。
確かに若い頃からたくさんのつらい修行をして来ました。そのおかげで、偉いお坊さんにもなれたのですが、和尚さんだって同じ人間なのです。はめを外したい時もありました。いいえ、はめは外さなくても、せめて普通の人たちと同じようにふるまい時もあったのです。
いつだったか、あるおだいじんのお葬式の最中に、突然おならがしたくなった和尚さんは、とうとう最後まで我慢し続けて、三日三晩寝込んでしまったことがありました。説教の途中で背中がかゆくなった時には、かゆくてかゆくて我慢ができず、かといって話している最中にこっそりと掻く訳にも行かず、いつもよりうんと短くお説教を切り上げて、本堂の柱に背中をこすりつけているところを小坊主に見つかり、とても恥ずかしい思いをしたものです。
どれもこれも思い出したくないことばかりでした。
「偉くなるのも考えものだなあ…」
夏の暑い盛りだというのに、今日もきちんと法衣を着て正座をした和尚さんは、汗だくになりながら、つくづくそう思ってため息をつきました。
ある日のことです。
外の用事を済ませた和尚さんは、寺に帰るが早いか、「誰も入るでない」
と言い置いて、部屋のふすまを全部締め切ってしまいました。
「ああしてまた和尚さんは、暑さを我慢する修行をしていらっしゃるのだ」
若い修行僧たちは誰もが信じて疑いませんでしたが、実はそうではありませんでした。みんながそう思いこんでいるのをいいことに、和尚さんは、風のない日は決まってふすまを締め切って中で裸になるのです。どうせ風はありません。きちんと着物を着てふすまを開け放っているよりも、たとえふすまを閉め切っていても、裸の体を思いっきり団扇であおいでいる方が涼しいのです。
部屋に飼ってあるネコのタマが、ニャ~と一つあくびをしました。他には誰一人見ているものはありません。
「やれやれ…」
和尚さんは安心して、汗でじっとりと湿った着物をぬぎ捨てると、足を投げ出した行儀の悪い格好で、バタバタと団扇を使いました。
「ふう…暑い、暑い…。暑さを避けてはいかん。人間は暑さと一つになれば、暑さなど感じぬものよ…などと若い者には説教をしているが、今年の暑さは格別だわい」
和尚さんは言いながら、昼間、外で見た子供たちの遊びのことを思い出していました。
それは、けまりという近頃ふもとで流行っている遊びです。
「わしも、やってみたいものだ…」
年甲斐もなくそう思いました。
思いつくと矢も盾もたまらなくなる性分です。
「何とかしてあのまりを手に入れる方法はないものか…」
和尚さんは真剣に考えました。もともとまりなど寺には用のないものです。寺で手に入るとは思えません。もちろん、ふもとの町まで使いの者を買いにやらせるのは簡単ですが、まさか、和尚さんがまり蹴りをしたいと人に言うわけには行きません。手に入らないとなると、よけいに欲しくなるのは、偉いお坊さんでも同じ事でした。