山寺の和尚さん
作成時期不明
押入れの中にタマを隠すと、頭を冷やしたり、背中をさすったり、和尚さんの真剣な介抱が始まったのです。
静まり返った夜の山寺から、黒い影が一つ吐き出されました。影は、月明かりの中をふもとに向かって足早に下りて行きます。一日の商売を終えて雨戸を閉め切った魚屋の前で、その影は立ち止まりました。
ドンドンドン
「もし…」
ドンドンドン
「もし…」
影は雨戸をたたきます。
「今日はもう終りだから明日にしてくんな」
中から返って来た返事にはかまわずに、
ドンドンドン
「もし…」
ドンドンドン
「もし…」
影は雨戸を叩き続けました。
魚屋のあるじが仕方なく雨戸を開けると、そこには、ほっかむりですっかり顔をおおった、背の高い男が立っていて、これで魚を売ってほしいとおカネを差し出しました。
男は魚を受け取ると、
「お客さん、おつり、おつり」
という魚屋の声を背に、逃げるように去って行きました。
タマは押入れの中で目を開けました。
ぷうんといい匂いがして来ます。
赤ン坊の時に捨てられてからというもの、ずっとこのお寺で育てられ、生臭いものは一度も食べたことのなかったタマが、生まれて初めて嗅いだ魚の匂いでした。
匂いはだんだん近づいて来ます。
タマの鼻がピクリと動きました。
スーッと押し入れが開いて、中を覗きこんだ人がほっかむりを取りました。
和尚さんです。
「タマや、ほら、魚だぞ。うんと食べて元気になっておくれ」
目まいがするほどうまそうな魚が、目の前に差し出されました。
「ニャ~」
初めは恐る恐る、やがてわき目もふらず、タマは魚にむしゃぶりつきました。
こんなおいしいものが世の中にあったのでしょうか。
またたくまに、骨一つ残さずにペロリと平らげてしまい、満足そうなタマの様子を、和尚さんが嬉しそうに見つめています。その瞳が、それはそれはやさしくて、タマは蹴とばされたことも忘れて、だんだんと和尚さんのことを好きになって行きました。山寺の和尚さんは、坊主のくせに、毎晩魚を食べているという噂が広まったのは、それから何日か経ってからのことでした。