鬼夜叉と臆病弥太っぺ

平成29年12月09日(土)掲載

 鬼夜叉の子どもは一本杉の太い根に腰を下ろして、村人が通るのを見下ろしていました。一度に大勢の村人と友達になるのは無理な話です。人のよさそうな村人とまず仲良くなって、あとはゆっくり鬼夜叉が決して怖い妖怪ではないということを分かってもらわなくてはなりません。

 来た!

 鬼夜叉の子どもは思わず身を乗り出しました。見るからに人の良さそうな若者が急ぎ足でやって来ます。

 あの人となら友達になれそうだ…。

 鬼夜叉がそう思った相手こそ、村一番の臆病者の弥太郎だったのです。

「こんにちは!」

 突然目の前に現れた鬼夜叉に、弥太郎はもう腰が抜けてしまうかと思うくらいびっくりしました。振り乱した髪の間から二本の角がにゅーっと生えています。鬼夜叉の子どもは精一杯笑っているつもりなのですが、弥太郎には牙をむいて睨み付けているとしか思えませんでした。でも驚いたのは弥太郎ばかりではありません。鬼夜叉の子どもも、一体何がどうなったのか、しばらくは分かりませんでした。だって「こんにちは!」と声をかけ、にこにこと笑顔で現れたというのに、村の若者は自分の姿を一目見るが早いか目を回さんばかりに驚いて、持っていた鍬も放り出し、一目散に逃げ出したではありませんか。

「おおい、待ってくれ、何も怖がることはねえだ、友達になりてえだよ」

 追いかけようとしても無駄でした。弥太郎の足の速いこと早いこと。脇目も振らず逃げて行く弥太郎の姿は、見る見る小さくなって行きました。


「鬼夜叉だあ!」

「鬼夜叉が出たぞお!」

 真っ青な顔をして村に走り込んだ弥太郎は、着いたとたんに気を失ったのでしょう、気が付くと大勢の村人たちの顔が心配そうに覗き込んでいます。それが弥太郎にはまたしても鬼夜叉に見えました。

「助けてくれ、鬼夜叉だあ!助けてくれ!」

「しっかりするだ、弥太郎、落ち着くだ」

「お、鬼夜叉が出ただ、一本杉で鬼夜叉が出ただよ」

「鬼夜叉?」

「んだ、あれは確かに鬼夜叉だ。角が生えて、牙がむき出して、ああ恐ろしい恐ろしい」

 弥太郎は思い出してぶるぶると震えています。

「馬鹿も休み休み言うだ」

 庄屋様が言いました。

「鬼夜叉はただの言い伝えだ。今まで村で姿を見たものはいねえ」

「本当だ、おら本当に見ただ」

 弥太郎がどんなに説明しても無駄でした。

「臆病弥太っぺが夢でも見たんだべ」

 と誰一人として信じようとはいないのです。その事件以来、弥太郎の臆病はますます評判になり、子どもたちも弥太郎の家の前を通るときには決まって、

「臆病弥太っぺ」

「臆病弥太っぺ」

 と大声ではやし立てて行くようになりました。


 ひと月が経ちました。あの日から大勢の村人たちがいつものように一本杉の前を通るのですが、鬼夜叉を見たなどという話はただの一度も聞きません。弥太郎は後悔しました。

「みんなの言うように、あれはやっぱり夢だったのかも知れねえ」

 そう思うようになっていました。

 でも今度はそんなことぐらいで気を失って、みんなの笑いものになってしまった自分が情けなくて、自分で自分に腹が立って来るのです。とにかく臆病者の評判だけは何とかして取消したいものです。考えあぐねた弥太郎は、二、三日、ものも言わないで部屋に閉じこもり、何やらごそごそしていましたが、いったい何を思いついたのでしょう。

「できた、できた、とうとうできたぞ!」

 と、飛び出して来たときには、振り乱した髪の間から二本の角がにゅっと生え、牙をむき出しにした恐ろしい鬼夜叉のお面を持っていたのです。