鬼夜叉と臆病弥太っぺ

平成29年12月09日(土)掲載

 それは思いがけないくらいやさしい声でした。差し出された水を一息に飲み干すと、弥太郎は少し人心地がつきました。

「ここはどこだ?」

「おらたちのほら穴だよ」

「おらをどうするだ?」

「どうもしねえ。気を失ったから介抱してただ」

 暗くて姿が見えないせいでしょうか、話してみると鬼夜叉は少しも恐ろしい妖怪ではありません。弥太郎はすっかり安心しました。安心しておなかが空いた弥太郎に、鬼夜叉は木の実だとか果物だとかをたくさんご馳走してくれました。弥太郎は大喜びです。それを見て、人間と友達になりたかった鬼夜叉の子どもも大喜びでした。こうして鬼夜叉と弥太郎はすっかり仲良くなりました。弥太郎は鬼夜叉と話をしていて気が付いたことが二つありました。その一つは、鬼夜叉はとても煙が嫌いだということです。

「暗いからおら、火を炊くだ」

 と弥太郎が火打石を取り出したとたん、鬼夜叉親子は、キャッ!と抱き合ってこう言ったのです。

「お願いだ、煙を出すのだけはやめてくんろ。おらたちのおとうも煙にまかれて死んだだよ」

 もう一つは、鬼夜叉親子はとてもやさしくて涙もろいということでした。臆病弥太っぺ、弱虫弥太っぺと馬鹿にされて、随分と辛い思いをしていることを弥太郎が打ち明けると、

「気の毒に、気の毒に」

 と鬼夜叉はもう涙ぐんでいます。弥太郎ばかりを臆病呼ばわりさせないためにお面を作って村の人たちを驚かしたのだと訳を話すと、鬼夜叉親子は同情して、おいおい泣き出してしまいました。そして、ひとしきり泣いたあとで鬼夜叉の子どもがこう言ったのです。

「おらに考えがある。弥太郎さん。言う通りにすれば今度は村中で一番勇気のある男になれるだよ」

「?」


 村祭りの日がやって来ました。いつもなら嫌で嫌でたまらないこの日が来るのを、弥太郎はどんなに待ったことでしょう。

 ドンドコドン!ドンドコドン!

 太鼓が打ち鳴らされて力自慢の村の若者たちが次から次に神社の境内に集まって来ます。これから恒例の奉納相撲が始まるのです。

「おやおや弥太郎でねえか、まさかおめえのような臆病者まで相撲に出るんでねえだろうな?」

 聴かれた弥太郎は。何も答えずににやにやと笑っていました。

「今に見ているがいいだ。みんなきっとおらのこと見直すだぞ!」

 弥太郎は心の中でそう思っていたのです。

「ひがあしい、松之介、にいしい、大五郎」

 いくつかの取り組みが終わって、奉納相撲の横綱が二人呼び出されたときです。

「わ!」

 と尻餅をつくと同時に見物人たちが総立ちになりました。どこから降って湧いたのか、怖ろしい顔をした鬼夜叉が仁王立ちになっています。

「鬼夜叉だ!」

「鬼夜叉だぞ!」

 みんな口々にそう叫んだとき、村人たちにとっては、もっと信じられないことが起きました。勇敢な若者が一人、ぱっと着物を脱ぎ捨てたかと思うと、鬼夜叉めがけて飛びかかって行ったのです。それが何と、村一番の臆病者の弥太郎ではありませんか。鬼夜叉に飛びかかった弥太郎は、しっかりと鬼夜叉に組み付くと、あれよあれよと言う間にすってんころりんと鬼夜叉を投げ飛ばしてしまいました。ほうほうのていで逃げて行く鬼夜叉を見送って、弥太郎は土俵の上で得意そうです。これで弥太郎は臆病者どころか、村で一番勇気のある若者になれることは間違いありません。そして、それが鬼夜叉と弥太郎との約束だったのです。ところが、そのあとで起こったことは弥太郎も鬼夜叉も全く想像もしないことでした。

「鬼夜叉は弱いぞ!」

「鬼夜叉をやっつけろ!」