鬼夜叉と臆病弥太っぺ

平成29年12月09日(土)掲載

 一本杉には本当に鬼夜叉が出ると言う噂が広がったのは、それから間もなくのことでした。もちろんそれはお面を被った弥太郎の仕業だったのですが、誰も気が付く者はありません。弥太郎の狙いは見事に的中しました。鬼夜叉を見て気絶する者が次から次へと現れると、いつの間にか弥太郎の臆病を笑う者はなくなりました。だって弥太郎を笑うことは他の者たちのことも笑うことになるからです。それに不思議なことが一つありました。それはあれほど臆病者だった弥太郎が、お面をつけると、どういう訳か暗闇もそれほど恐ろしくは感じないのです。いつもおどおどびくびくしている人間は、いっそ思い切って人を驚かす側に回った方が勇気が出るのかも知れません。

「今までさんざんおらのこと臆病者と笑ったくせに、自分たちだってお面を被ったおらを見ると、腰を抜かしてしまうんでねえだか」

 最初のうちは臆病者の評判さえ取消すことができれば、それでいいと始めたことだったのですが、弥太郎の臆病を笑った連中が真っ青になって逃げて行くのが面白くて、弥太郎はこのいたずらをすぐにはやめる訳にはいかなくなりました。

「さて、今日は誰を驚かしてやるべか」

 弥太郎は夕暮れになるのを待ち構えるようにして一本杉へ出かけて行くのでした。


「毎晩一本杉で人間を驚かす悪い鬼夜叉が出るというが、まさかお前の仕業ではねえだろうな?」

 村人の話しを小耳にはさんだ鬼夜叉の母親が、かんかんに怒ってそう聞くと、

「ちがう、ちがう、絶対にちがうだよ」

 鬼夜叉の子どもはむきになって答えました。

「確かにおらが友達になろうとした人の良さそうな村人は、おらの姿を見るが早いか逃げ出しただ。けど、おらが人間に姿を見せたのはそれが最初で最後だよ。あとのこたあ知らねえだ」

「だば、いったい誰の仕業だべ?」

「さて、ひょっとするとおらたちの他に、もう一人鬼夜叉がいるんでねえべか?」

「そったらはずはねえ。おっとうが山火事で死んでからというもの、世界中に鬼夜叉と言えば、おらとおめえの二人きりだ」

 鬼夜叉親子は、まるでキツネにでもつままれたような気持ちです。

「おら、確かめて来るだ」

 鬼夜叉の子どもが出かけて行こうとするのを、

「待て、おらも行くだ」

 と母親が続き、二人は一本杉のこずえで、もう一人の鬼夜叉が出るのを待つことになりました。


 鬼夜叉親子が見下ろしているなどとは夢にも知らぬ弥太郎は、一本杉の根元まで来ると、用心深く辺りを窺ったあとで、懐から取り出したお面を付けました。

「あ!」

 と驚いたのは鬼夜叉です。何しろお面というものをまだ見たことのない鬼夜叉親子には、たった今、人間が突然鬼夜叉に変わったとしか思えません。鬼夜叉親子は自分たちが妖怪であることも忘れ、

「お化けだ!」

 と叫んだとたんに足を滑らせて一本杉のこずえから転がり落ちてしまいました。さあ、今度驚くのは弥太郎の晩でした。

 ドスン!ドスン!

 空から鬼夜叉が二つも続いて降って来たのです。逃げる暇も叫ぶ暇もなく、

「う!」

 と言ったきり、弥太郎は目を回してしまい、そのはずみで外れた鬼夜叉のお面が転がって、カラカラと淋しい音をたてました。


「どうすべえ、おっかあ」

「どうすべえって、まさかこのまま放ってもおけねえべ」

「おらおでこを冷やしてやるだ」

 耳元で声が聞こえます。冷たい手ぬぐいを額に当てられて、ようやく気が付いた弥太郎は、恐る恐る目を開けました。真っ暗で何も見えません。

「よかった、気が付いただね」

 声のする方を振り返ると、ネコのようによく光る目玉が四つ、見下ろしていました。

「あ!」

 逃げようと思うのですが、立ち上がろうとして立ち上がれない弥太郎に鬼夜叉が言いました。

「そんなに怖がらなくてもいいだよ。おらたちは何もしねえ。水でも飲んで落ち着くだ」