哀しみのお姫様

平成29年12月25日(月)掲載

 片足をもぎとられた人形は歩くことができません。ちぎれた手足をしっかりとかかえたお姫様の人形は、夜の歩道を這って行きました。

「頑張るわ、かおりちゃんに会うまでは、どんなことをしても頑張るのよ」

 歯を食いしばる人形に冷たい雨が降り続きました。時折通り過ぎる自動車は、その度に泥水を浴びせて行きました。どれくらいの時間が経ったのでしょうか。すっかり冷え切った体から感覚がなくなった頃、人形はようやく青い屋根の家にたどり着きました。どの窓もすっかり締め切って、静まり返っているようです。無理もありません。冬の真夜中なのです。

「かおりちゃん…」

 人形は残っている力を全部ふりしぼって窓辺に近づきました。

「起きてよ、かおりちゃん」

 そして窓を覗き込んで驚きました。真っ暗な窓ガラスに自分の姿が映っています。ああ…それは何とみすぼらしい姿なのでしょう。美しいブロンズだった髪の毛は、すっかり汚れて醜く額にへばりついています。愛くるしい目元も自慢の唇も泥だらけで、まるでお化けのようでした。イヤリングもネックレスもいつか飛び散り、着ていた絹のドレスも汚れて見る影もありません。それはもう決して素敵なお姫様の姿ではありませんでした。ちぎれた手足をしっかりと抱いて、片手片足でしょんぼり立っているずぶ濡れの人形は、誰が見てもただのぼろきれでしかありませんでした。

「…」

 人形はその場に座り込みました。もう口を利く気力も残ってはいませんでしたが、それだけが生きている証の様に、瞳から熱い涙がぽろぽろと頬を伝いました。こんな姿でかおりちゃんの前に出て行く訳には行きません。いいえ、たとえ出て行ったとしても、愛してもらう自信は人形にはありませんでした。人形は何も考えないことにしました。初めから生まれて来なかったのだと自分に言い聞かせようとしていました。いつしか雨は雪に代わり、道路も屋根も真っ白になりました。ぼろきれのような人形の上にも静かに雪が降り積もって行きます。体半分、雪にうずもれながら、人形はやさしいまなざしで見つめられている夢を見ていました。

「私は愛されている…」

「私は愛されている…」

 しかしいくらつぶやいてみても、あのときのように心が温かくならないのはどういう訳でしょう。

「私は愛されている…」

「わ、た、し、は、あいされて…い…る…」

 辺り一面真っ白な景色の中にはもう人形の姿はありません。


 すっかり降り積もった雪の朝、真っ黒なクマのぬいぐるみを抱いたかおりちゃんが窓ガラスを開けました。

「わあ、きれいな雪!何だかいいことが起こりそう」

 そして白い白い雪のせいでしょうか、かおりちゃんもクマのぬいぐるみも、そのときふと、真っ白なドレスを着た美しいお姫様の人形のことを思い出していたのです。