成年後見制度と人権

10.法人後見

 後見人等になれるのはそれに相応しい特定の人物や「法人」…と、法人にカッコをつけましたが、個人でなく「法人」にも認められているということには大きな意義が2つあります。1つは継続性と安定性の問題です。我々は個人経営の商店よりは有限会社を、有限会社よりは株式会社を信用しますが、それは個人よりも組織の方が継続性があるし、規模が小さいよりも大きい方が安定しているからです。後見人等も同じです。生身の個人がなったのでは、いつ病気になって職務が果たせなくなるかも知れませんし、本人より後見人等の方が先に亡くなってしまうかも知れません。特に後段の部分については、知的障児の親が後見人等になった場合を想像してみればすぐに判ります。通常は、私の目の黒いうちはと頑張っている親の方が子供より先に逝くのです。その点、法人であれば個人より格段に継続性と安定性において優れています。2つ目は適切で総合的な判断システムが確保できるという点でしょう。個人の能力はたとえ弁護士であってもオールマイティではありません。法律には詳しくても、例えば本人が入所する施設サービスの質を見抜く経験も情報も多くはありませんし、入所に伴って売却する本人の宅地の妥当な相場を知っているとは限りません。これから先、本人の身に起きる様々な不利益や必要性を、法的な視点だけでなく、社会的、経済的、心理的に、最も適切かつ総合的に判断を下すためには、個人ではなく複数の専門家チームを編成して、多方面からの検討を加えながら進めて行く方が万全です。各方面の専門家のチームを編成し、より適切で総合的な判断体制を構築する力は、通常は個人よりも法人の方が勝っているのです。


11.市町村の責任

 最後に、市町村長にも申立ての権限が与えられた点について説明しなければなりません。後見等は、本来は4親等以内の親族が申立てることになっていますが、身寄りのない人はどうしますか?また、身寄りがいても疎遠な人はどうしますか?疎遠どころか、肝心の親族に通帳と印鑑を管理されて、いいように着服されている人はどうしますか?成年後見制度は申立てによってスタートします。申立てる親族のいない人が利用できないのでは、それこそ法の下の平等に反します。そこで法は、市町村長にも申立ての権限を与えて、制度の普遍性を確保しているのです。

 そもそも戸籍の上に、無能力者という烙印を押すような禁治産、準禁治産制度を改め、足りない能力を補うことを目的とする成年後見制度を成立させたのは、介護保険制度の創設と密接な関係がありました。本格的な高齢社会を迎えて、介護が特別な人の問題ではなく、誰もが直面する社会的ニーズになったと判断した国は、行政の決定でおおやけのサービスを提供する「措置」という制度を一部残しながらも、一定の介護が必要な状態になれば、自らの判断で民間サービスを購入して費用の補填を受ける、公的な保険制度を導入しました。サービスを購入するためには、当然、利用者本人と事業者との間で「契約」を結ぶことになりますが、多くの利用者には契約能力がありません。そこで国は成年後見制度を介護保険法と同時にスタートさせて、誰もが正当に介護保険サービスを購入できる法整備を行ったのです。


12.課題

 ここからは課題です。

 国は介護保険制度を皮切りに福祉分野への契約制度の導入を断行し、さらに障害者自立支援法を成立させて、障害福祉の分野にも契約によるサービス購入方式を採用しました。契約能力を補完するために成年後見制度も創設しました。5年後に行われた介護保険法の改正では、全国に地域包括支援センターを設置して権利擁護事業を担当させました。これによって支援センターは、高齢者虐待防止法の中心的役割を担うことになりました。国は憲法の規定通り、個人の意思を尊重する国家体制を制度的に整え終えたのです。

 しかし問題は実施体制の不備でした。

 介護保険も権利擁護事業も自立支援法も、実施主体は市町村です。国が整えた権利擁護の制度体制を、実施体制として具体化しなければ市町村の責任は果たせません。税も保険料も平等に徴収しておきながら、契約のできない人の存在を放置するというのでは行政の公正が保てません。市町村長申立てについてはためらわないにしても、悩みは後見人等の候補者の不在でした。後見人等の報酬額は、業務の煩雑さや困難性と本人の負担能力を勘案して裁判所が決定しますが、それを生業にすることを想定してはいないようです。本人の所得が低ければ、後見人等はほとんどボランティアを覚悟しなければなりません。そして福祉領域で浮上する困難事例は、低所得の場合が少なくないのです。考えてもみてください。親族との関係が希薄で、判断能力の不十分な人にまつわる日常支援を、あなたなら、ほとんどボランティアで引き受けますか?わずかな年金の管理の形跡をきちんと書類に残して、裁判所に報告するような面倒な仕事を、無償に近い報酬で引き受けますか?適任者が不在なら、裁判所は、弁護士、司法書士、社会福祉士等を選任すればいいようなものですが、親族以外の専門職を選任すれば費用がかかります。つまり問題は費用負担が困難で制度を利用できない人の権利擁護をどうするかということなのです。

 多治見市(当時は合併前で、笠原町を含んでいました)、土岐市、瑞浪市という岐阜県の東の外れの三つの市が、全国に先がけて責任を果たす勇断をしました。特定非営利法人東濃成年後見センターの設立を支援し、運営費用を委託費として予算化して、果敢に市長申立てを開始したのです。5年後には中津川市と恵那市が英断しました。現在は安定した財政基盤を背景に、それぞれ複数の職員が2つのセンターで後見業務に従事しています。弁護士、司法書士、福祉関係者、医療関係者、学識経験者等がチームを編成して、毎月開催する事例検討会の結果に従って、事務局が実務を担当しています。資料編に明らかなように、ケースの大半は地域包括支援センターからの紹介です。地域包括支援センターは、通常であれば権限がないために介入できない、いわゆる困難事例と言われるケースを、成年後見センターと連携することによって具体的支援に結び付けているのです。内容は事例紹介編に譲りますが、ここでは成年後見センターの財政基盤が、ひとえに人権に対する行政の見識に負っているという事実を強調したいと思います。繰り返しになりますが、契約を前提とした介護保険の保険者として、契約能力のない人にも契約を可能にするシステムを作る責任が市町村にはあります。権利擁護事業の実施主体として、権利、つまり正常な意思表示が困難な人の代理人を確保する体制を作る責任が市町村にはあるのです。

 全国に先がけて範を示した岐阜県の東濃5市の高い見識が、ようやく各地に波及する兆しを見せ始めました。権利を守るためにはコストがかかりますが、かけたコスト以上の安心を地域にもたらします。後に続く地域の参考に供するために、ここに東濃後見センターの活動の5年間の軌跡をまとめました。

 最後にこの文章を書きながら、実は私自身が「権利」という言葉の重さについて再認識したことを申し添えます。