成年後見制度と人権

1.イヌに生きる権利はあるか

 成年後見制度について講演を依頼されると、私はまず会場に向かって、「イヌに生きる権利はありますか?」と質問することにしています。参加者はこぞって手を挙げて、何を当たり前なことを聞くんだという顔をします。そこで今度はイヌをネコに変えて、「ネコに生きる権利はありますか?」と質問すると、ネコを差別するわけがないだろうとばかり、参加者たちはむっとした表情で再び手を挙げます。ところが、ネコをネズミに変え、ネズミをゴキブリに変えて行くと、会場は次第に戸惑い始めます。質問の意図に気が付くのですね。講師は「権利」ということの意味を問いかけているのです。しかし、イヌにもネコにもネズミにも生きる権利があると答えた参加者は、それがゴキブリになったからといって突然態度を変える理由が見つからず、自分の中の一貫性を保つためにおずおずと手を挙げて苦笑いをしています。

「それでは蚊に生きる権利はありますか?」

 最後の質問に、なおも頑なに手を挙げ続ける人々を、ほう…と感心したように見回して、今手を挙げている人の中で、これまで蚊の生きる権利を奪ったことのない人はそのまま手を挙げていて下さいと言うと、たいてい会場には一本の手も残ってはいません。

「…ということは、皆さんは、皆さん自身が簡単に奪ってしまうようなものを権利と呼んでいるのですね?」

 こうして会場は爆笑に包まれるのです。

 さあ、最初の質問に戻りましょう。

 そもそもイヌに生きる権利があるのでしょうか?殺虫剤で簡単に殺される「蚊」ほどではないにせよ、毎日相当な数の野犬が保健所のガス室で処分されています。人間の都合で易々と命を絶たれてしまう存在に対して、奪う側の人間が、生きる権利があると主張して胸を張る神経はどうなっているのでしょう。

 イヌに生きる権利などありません。

 そんなにたやすく奪われてしまうものを「権利」などと呼んではいけません。それは反対に権利というものの価値をおとしめてしまいます。飛騨牛がいい、鶏は名古屋コーチンだ、やっぱり関アジはちがう…などと、動物や魚の肉をうまいうまいと食べておきながら、生きとし生けるものには全て生きる権利があるなどと主張する心根は、一見優しさのように見えますが、実は権利というものに対して無自覚であるに過ぎません。動物は時に保護の対象であったり、愛護の対象ではあっても、権利の主体ではありません。権利は人間社会において、人間に対して適用される概念であるのです。


2.日本国憲法

「では、皆さんには生きる権利はありますか?」

 会場に挙手を促すと、気の毒に、「権利」ということについてすっかり混乱してしまっている参加者は、イヌについて質問されたときよりもはるかに自信なさげに手を挙げて、困惑した顔をしています。その会場に下りて行き、

「あなたは手を挙げていますが、なぜ自分には生きる権利があると思うのですか?根拠を教えて下さい」

 次々とマイクを向けて行くのですが、日本国憲法に規定してあるからと即座に答えられる人はどこの会場も数えるほどしかいないのです。

『全て国民は個人として尊重される。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を要する』

『全て国民は最低限度の文化的生活を営む権利を有する』

 有名な憲法の条文はどこかで一度は習ったことがあるはずなのですが、その意義や重要性について深く認識することなく、国民の権利をイヌやゴキブリと同列に論じて平然としている楽天性が私たちにはあるのですね。

 憲法は国民に、生命だけでなく、「個人として尊重されること」、「自由であること」、「幸福を追求すること」についても権利として認めています。そして、公共の福祉を優先はするものの、法律を作る時も国の政治を行う時も、国民の権利を最大限に尊重しなさいと命じているのです。

 それでは、日本国憲法が制定される前は、国民の権利はどんな扱いを受けていたのでしょうか?現在の憲法が制定されるまでは、わが国は大日本帝国憲法によって運営されていましたが、そこには「国民」と言う言葉ではなく、「臣民」という言葉が使用されていました。主権は天皇にあり、個人はいわば天皇の家臣であって、国家や全体に対して従属する忠誠心が要請されていました。大日本帝国憲法にも臣民の権利を定めた条項がありましたが、例えば、「日本臣民は法律の範囲内において居住及び移転の自由を有する」とか、「日本臣民は法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する」といった制限的内容でした。つまり日本国憲法が、主権は国民にあり、国民の権利を中心に国を運営しなさいと命じているのに対し、大日本帝国憲法は、主権は天皇にあり、家来である臣民には法律の範囲内で一定の自由を認めてやるぞという姿勢であったのです。もちろん生きる権利についての規定などはなく、反対に兵役の義務、言い換えれば天皇のために命を捨てる覚悟が要求されていました。

「朕深ク 世界ノ大勢ト 帝国ノ現状トニ鑑ミ 非情ノ措置ヲ以ッテ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル 爾 臣民ニ告グ」

 終戦の詔勅は忠良ナル臣民に向かって発せられています。

「天皇陛下万歳!」

 と叫んで散って行った兵士たちも、臣民であれば当然の行為であったのです。


3.権利の起源

 考えてみれば、徳川家だの島津家だのと、武力を背景に複数の個人が領主となって家臣と領民を支配していた江戸の封建体制では、ペリーの恫喝に始まる国家的規模の難局に対応できなくなって、急遽、藩という分立小国家を廃し、天皇を中心とした統一国家を作ったわけですから、いきなり民主主義体制に移行するという離れわざはできず、それまで殿様連合の盟主であった将軍を天皇に変え、家臣、領民を臣民に変えて国の統治を図ったのは無理もない歴史の一段階であったのでしょう。個人は、藩に代わる国家、すなわち殿様に代わる天皇に従属する関係のまま憲法に位置づけられ、またその方が体制の円滑な移行ができたのでした。しかし、国家の運営に未経験なまま、そして「君、辱められれば、臣死す」という封建社会の気分を濃厚に残した状態で本格的に国際社会のお付き合いを始めた「にわか統一国家」は、結局、世界を相手の政治的かけひきに失敗して無謀な戦争に突入した結果、大勢の国民が天皇の臣民として命を落とし、国土は焦土と化しました。そして戦勝国としてこの国を占領したアメリカ主導の下に、大日本憲法は改正されて、敗戦の翌年に現在の日本国憲法が制定されたのです。

 そこには、アメリカという国家の背骨である、「アメリカ独立宣言」に謳われた精神が注ぎ込まれました。『全ての国民は平等に造られている。生命、自由、幸福の追求は不可侵、不可譲の自然権である』という独立宣言を貫く思想は、日本国憲法の、『全て国民は個人として尊重される。生命、自由、幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を要する』という包括的基本権の規定や、『すべての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない』という平等の保障の規定とそっくりです。古くはイギリスのマグナカルタや権利章典に端を発し、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言、ドイツのワイマール憲法と続く、いずれもそれぞれの国内で、被支配階級が支配階級に血みどろの闘いを挑んで勝ち取った「権利」という成果を、我々日本民族は、国家が最も尊重すべき重要な価値として易々と手に入れたのです。