宗 派 | 曹洞宗 | 聞修院は黒沢山と号し、本尊は阿弥陀如来で、天寧寺3世・霊隠宗源の開山です。 先哲の「聞思意修より三摩地に入る」という語から寺号を選んだといわれ、開基は黒沢村の住人黒沢蔵之助と伝えられています。 慶安2(1649)年には、徳川氏から阿弥陀堂領10石の朱印状を寄せられています。 天保11(1840)年には火災にあいましたが、嘉永3(1850)年、光雲大竜の代に再建されました。 天文12(1543)年の板碑(市・有形文化財)があり、碑面には42名の名前が彫られています。 風化が激しいため、現在、本堂内に保管されています。 |
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山 号 | 黒沢山 | |
創 建 | ||
開 山 | 霊隠宗源(天寧寺3世) | |
本 尊 | 阿弥陀如来 | |
文 化 財 | ||
住 所 | ||
電 話 | ||
駐 車 場 | 有り | |
天文年間の創立で黒沢村の住人、黒沢蔵之助の開基。 開山は天寧寺三世霊隠宗源和尚で、聞思意修より三摩地に入るという宗門先哲の格言より聞修院と称しました。 本尊は三尊阿弥陀如来で定朝の作といわれます。 天保十一年六月回禄の災に遭遇し伽藍その他大半を焼失、明治年間に現在の伽藍を再建しました。 慶安二年八月、徳川家光公より阿弥陀堂領として高十石の朱印状を下附されました。 寿老人像は本尊脇に古くより奉安され、代々の住職が黒沢村の住人の長寿を祈願したといわれます。 |
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