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  • 更新日 2011年10月20日
  • 天寧寺てんねいじ
     天寧寺
    宗 派 曹 洞 宗

    天寧寺は高峯山と号し、 曹洞宗の名刹で、 本尊は釈迦如来です。 もともとこの地には、 平将門創建の真言宗高峯寺があったとされています。

    その後、 文亀年間(1501~1504)に杣保三田谷の領主であった勝沼城主三田弾正忠正定が、 甲州中山広厳院の第2世・一華文英を開山として創建しました。

    江戸時代には末寺37を数えるほどの大きな寺で、 慶安2(1649)年には徳川氏から20石の朱印状が与えられえています。 2度の火災にあい、 宝永4(1707)年に本堂が再建され、 嘉永年間(1848~1854)までに、 現在のような七堂伽藍が整備されました。

    しかし、 戦後、 各堂宇のいたみがひどくなってきたため、 昭和35(1960)年から順次解体修理が行われ、 昭和57(1982)年に完了しました。

    総門をくぐって参道を少し行くと、 寺の全景が見えてきます。

    丘陵の地形をうまく利用した寺域全体は、 曹洞宗の典型的な七堂伽藍の配置となっているため、 昭和35(1960)年に都の史跡に指定されました。

    山 号 高峯山
    創 建 文亀年間(1501~1504)
    開 山 一華文英
    本 尊 釈迦如来
    文 化 財
    住 所 根ヶ布
    電 話
    駐 車 場 有り
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    山門山門 銅鐘銅鐘 中雀門雪景色の中雀門

    山門は宝暦9(1759)年に建てられ、昭和57(1982)年に解体修理が施されました。 階上には、かつて御岳山世尊寺の本尊になっていた、永正8(1511)年に下野弘円が修復した木造釈迦如来座像(市の有形文化財に指定)と、木造十六羅漢像が安置されています。

    山門の左奥にある鐘楼の銅鐘は、大永元(1521)年に、 この寺の開基である三田弾正忠政定が寄進した、 市内では最古のものです。 鐘面には三田氏が平将門の後胤であることが記されています。

    昭和23(1948)年に国の重要美術品に指定されています。

    嘉永6(1853)年に建立された中雀門は、 唐破風造り(からはふうづくり)の様式です。 中雀門を入ると正面に本堂、左手に禅堂、右手に庫裡が、 そしてそれらを結ぶ回廊があります。

    三田氏代々の位牌 霞池

    天寧寺は三田氏の尊信があったため、寛永4(1627)年に遺臣野口刑部少輔秀房が三田氏代々の位碑を天寧寺に納めています。 その裏書が市の有形文化財に指定されています。

    本道の背後には霞池があり、霞川の源流となっています。 樹木に囲まれた池は、いつ見ても魅があります。

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