掲載日 平成24年8月15日 |
東青梅の駅から成木街道沿いにある四小の横を通り、「根ヶ布」の信号を右に折れ、天寧寺坂通りをしばらく行くと、大きな木々に囲まれた七堂伽藍が整備された曹洞宗の名刹「高峰山天寧寺」があります。その山門をくぐると左手に 仏教と共に日本に伝来し、鐘の音は時計のなかった時代に朝・昼・晩と野を超え谷を渡って村々に鳴り響き、時を知らせてきました。この鐘の池の間と呼ばれる全区に銘文が刻印されており、その中の一面には『 三田氏は13世紀末から永禄年間(1558~1570)前期までの約300年間武州 奈良時代から平安時代前期の鐘は撞座の位置が高く、鐘身の中央に近い位置にあるのに対し、平安時代末期以降の鐘は、撞座の位置が下がる傾向にあるといわれており、天寧寺の撞座は19・1cmのところにあります。また、南北朝時代の鐘の特徴の一つとして、口径が60cm前後であることから、南北朝後期に造られたものであると考えられています。 昭和23年に国の重要美術品に認定されました。 | |
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市文化財保護指導員 儘田 小夜子 | ||
天寧寺の銅鐘 |
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