宗 派 | 真言宗醍醐派 | 大悲山と号し、真言宗醍醐派に属します。 寺伝などによると、大化年間(645~650)に若狭国の八百比丘尼が関東を遍歴した際に、ここに千手観音を安置したのが始まりと伝えられています。 天平年間(729~749)に僧行基が荒廃していた堂宇を再興し、ここに地形が船形に似ていたため、仏が衆生を済度する「誓いの船」に擬して塩船と名付けたといいます。 |
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山 号 | 大悲山 | |
創 建 | ||
開 山 | ||
本 尊 | 千手千眼観自在菩薩 | |
文 化 財 | 国指定重要文化財など | |
住 所 | 青梅市塩船 194 | |
電 話 | 0428-22-6677 | |
駐 車 場 | 有り | |
仁王門 ふるさとの文化財 第124回 「仁王門」 |
三間一戸の八脚門で、屋根は切妻造りです。 軒下の木組みに力強さが感じられ、室町時代の創建と推定されています。 門内の左右に安置されている阿(あ)・吽(うん)の2体の金剛力士立像は鎌倉時代の造立とみられます。 門は国の重要文化財に、仁王像は都の有形文化財に指定されています。 | |
阿弥陀堂 ふるさとの文化財 第114回 「阿弥陀堂」 |
桁行4間、梁間3間、一重の寄棟造りで、かつては茅葺でしたが、昭和46(1961)年の解体修理の際、銅板葺きに帰られました。 堂内には阿弥陀三尊像が祭られています。 阿弥陀堂は仁王門と共に、昭和21(1946)年に国の重要文化財に指定されました。 安置されている三尊像のうち、中央の阿弥陀如来像は、高さ約105センチ、一方、向かって右側の観音菩薩、左側の勢至菩薩はいずれも約90センチの高さです。 | |
観音堂(本堂) | 室町時代末期(16世紀前半)の建物といわれ、桁行5間、梁間5間の広さで、屋根は寄棟造りです。 昭和21(1946)年に国の重要文化財に指定されています。 堂内には建物と同じ時代の、入母屋式の1間厨子が置かれ、これも国の重要文化財に指定されています。 さらに、1間厨子の中には都の文化財に指定されている、木造十一面千手観音菩薩立像が安置されています。 | |
鐘楼の前には紀行文『東路之津登』の一説が書かれた石碑があります。 この紀行文は三田氏宗・政定が、京都の連歌師・柴の屋宗長を呼び寄せた時の状況が書かれています。 宗長は永正6(1509)年8月に勝沼城を訪れ、たびたび連歌の会を催しています。 | ||
ふるさとの文化財 第149回 「塩船観音寺の銅鐘」 |
本堂左手の鐘楼には、市の有形文化財に指定されている、寛永18(1641)年鋳造の銅鐘がかかっています。 口径67センチ、高さ91センチの大きさで、銘文によると、権大僧都良忍の菩提のために、近藤惣太郎が施主となり、桜沢市兵衛尉盛次が作ったというものです。 | |
大スギ ふるさとの文化財 第19回 「塩船観音寺の大スギ」 |
薬師堂にあがる石段の両側には、都の天然記念物の大スギがあります。 左側のスギは目通り幹回り約7.8メートル、高さ約38メートル、右側のスギは目通り幹回り6.8メートル、高さ38メートルの大きさです。 | |
木造十一面千手観音像 ふるさとの文化財 第128回 「木造千手観世音菩薩立像」 |
千手観音像は高さが約140センチの寄木立像で、文永元(1264)年の造立です。 台座には、永正9(1512)年に、勝沼城主の三田禅正忠氏宗が、下野(しもつけ)(栃木県)の仏師弘円に修理させた旨の銘が残っています。 | |
木造二十八部衆立像 ふるさとの文化財 第118回 「木造二十八部衆立像」 参考資料『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
千主観音像の両側には、都の有形文化財に指定されている木造二十八部衆立像が並んでいます。 像高の最大は功徳天像で約102センチ、最小は雷電王(雷神)で約85センチです。 二十八部衆のほとんどは鎌倉時代の作と推定されています。 | |
大般若経 | 堂内の唐櫃(からびつ)の中には、大般若経が収められています。 大般若経は約200巻からなり、応安6(1373)年の銘があり、字体も優れており、市の有形文化財に指定されています。 | |
薬師堂 ふるさとの文化財 第105回 「薬師堂」 |
観音堂の前に有り、桁行3間、梁間2件の大きさで、屋根は寄棟造りです。 | |
木造薬師如来立像 ふるさとの文化財 第146回 「木造薬師如来立像」 |
堂内には藤原時代に作られたと推定される、高さ約180センチの木造薬師如来立像が安置されています。 左手に薬壷を持ち、右手を掲げ施無畏(せむい)印を結ぶ観音寺唯一の一木造りで、薬師堂と共に市の有形文化財に指定されています。 | |
永仁の大板碑 ふるさとの文化財 第139回 「観音寺の青石塔婆」 |
本堂右手の板碑堂内には、100基近い板碑と一緒に「永仁の大板碑」が収蔵されています。 上部の阿弥陀種子の半分より上が欠けていますが、高さ2.03メートル、幅63センチ、厚さ7.5センチの大きさです。 都下でも最大級の板碑で、昭和39(1964)年に市の有形文化財に指定されています。 | |
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板碑には 願似比功徳 奉造立一百余人 普及於一切 永仁 年九月十四日 大勧進僧成円我等与衆生 逆修卒都婆也 皆共成仏道 と刻まれています。 銘文中の「永仁亖年は」四の字をきらったものであり、二と二に分けた永仁4(1296)年のことです。 | ||
一月元旦~三日一日 | 本尊開扉 | |
一月十六日 | 本尊開扉 | |
四月中旬~五月上旬日 | つつじ祭り | |
五月一日~五月三日 | ||
五月三日午前十一時~ | ||
八月第二日曜日 | (青梅青少年剣道大会) |
本尊開扉 |
九月第二日曜日 | ぼけ封じ祈願 | |
十月十二日 | 平成二十五年・要予約 | |
十月二十八日 | ||
十一月中 | 随時受付 | |
毎月一日 | 午前6時より | |
毎月八日 | 午前9時より | |
毎月十六日 | 午前9時より | |
毎月二十二日午前十時~ | 月例ご供養 |
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毎月第四日曜日 | 午前1時より 四月・八月・一二月はお休み | |