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  • 更新日 2018年8月10日
  • 青梅市「広報」より
    《第百八十四回》ふるさとの文化財

    大般若経だいはんにゃょう(塩船観音寺)
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成28年7月15日

    大般若経」だいはんにゃきょうは、「大般若波羅密多経」だいはんにゃはらみつたきょうの略称です。中国(唐)の玄奘げんじょう法師が梵語ぼんごの原典である「マハー プラジュニャーパーラミター スートラ(大なる知恵の完成を説いた教典)」を漢訳した経典です。仏教の真理を体得し、すべての人々に生かそうと励む菩薩の、最も重要な実践徳目じっせんとくもくである般若波羅密を説いた、多くの聖典を大集成しています。16編からなり、各編には多くのせつが設けられています。

    市内では長淵の玉泉寺・成木の安楽寺・御岳山の金井家、そして今回紹介する、塩船観音寺の大般若経が市の有形文化財に指定されています。

    塩船観音寺には、全部で600巻が存されています。各巻は高さ約25cm、長さ約836cmの大きさで、幅約10.2cmのつづら折りで畳まれています。そのうちの一巻には、奥書(おくがき)に「干時應安ときにおうあん六年七月十六日執筆覺能かくのう」とあり、また他の一巻にも「應安六年十一月三日幸辯こうべん書写」とあることから、応安おうあん6(1373)年、室町時代初期に書き写されたことが分かります。このような奥書を持った巻は複数存在しており、多くの人々によって、室町時代初期から江戸時代にかけて書写されたことが分かっています。

    塩船観音寺は大悲山だいひさんと号し、真言宗醍醐だいご派に属する寺院です。大化たいか年間(645~650年)に八百比丘尼が千手観音を安置したのが始まりで、天平てんぴょう年間(729~749年)には、荒廃していた堂宇どうう行基ぎょうきが再興したと伝えられています。このような古寺ですから、室町時代初期の僧侶であった覺能を初めとした多くの人々によって、書写されたのでしょう。

    問い合わせ 郷土博物館 ☎23-6859

    市文化財保護指導員
    三好ゆき江
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