日本の劣化
令和5年12月26日
う…寒い、と言いながら、コの字形のカウンターの、運よく二つ空いた中央の席に並んで座った利明と隆成は、いつものように熱燗二合とおでんの盛り合わせを頼んだあとで、本日のぼやきメニューを見た。
「ほう…日本の劣化ですか。これはまた大きなテーマですね」
と隆成が言うと、
「私がリクエストしたのですよ」
右のカウンターの中央に座った六十代とおぼしき男が挨拶のつもりなのだろう、ビールの入ったコップを目の高さに持ち上げて言った。
カウンターの中では、長い菜箸でおでんを見つくろう作務衣姿の店主が、大きな金属製の鍋から立ち上る湯気に包まれている。
「政治も経済も教育も社会も、とにかくわが国は見る影もないくらい劣化しているでしょう?政治家は裏金が発覚しても、きちんと謝罪もせず、国民の疑念を招いたことは誠に遺憾であり、信頼回復に努める所存だなんて他人事のようにうそぶいています。私はあれを見ると虫唾が走ります。教育は、いじめの隠蔽と教員による破廉恥な性犯罪が頻繁にニュースになります。そんな世相を散々ぼやいている訳ですよ…で、話題はですね…」
「私の中二の息子が不登校になった話をしていたところです」
左のカウンターの端に座った恐らく四十代のスーツ姿の男が、顔をほんのり赤くして、ぐい飲みを煽ってから言った。
おでんの皿の傍らに空の徳利が三本倒れている。
「学校でいじめられたのではないかと心配するのですが、息子は絶対にいじめだとは言いません。明るく元気な子だったんですよ。結局、スクールカウンセラーでは手に負えなくて、児童相談所を紹介されました」
「児童問題の専門機関ですね」
「最初に面談してくれた職員から、息子や家族のことを色々質問されましたが、尋問されているみたいで愉快ではありませんでした」
「え?あなたが相談に行かれたのですか?普通、そういうことは母親でしょう?」
「いえ、長男は私の連れ子ですので…」
「そうでしたか…これは失礼しました」
「失礼なのはその職員ですよ。警察みたいな口調で私の家庭の事情に立ち入っておいて、今の妻との間の子供と養育上の差別をしませんでしたか?なんて聞くのですよ」
「え?それじゃ、不登校は養育態度の問題と言わんばかりじゃないですか!失礼ですね」
「仲のいい兄弟なのですよ。だから腹が立ちましてね、あなたはどんな専門的な資格でそんな質問をされるのですかと尋ねて驚きました。その職員、二年前までは生命保険の会社に勤めていたと言うのです」
話がここに至ると、本日のテーマが見えたとばかり、カウンターの客たちが思い思いに発言をし始めた。
みんなアルコールで頬を染め、中には目が座った人もいる。
「生命保険会社?ということは、その職員は福祉や心理の資格は持っていないのですか?」
「持っていないどころか、会計年度任用職員とかいう三年間の有期雇用だと言いましたから、非正規の職員ですよ」
「いくつぐらいの人てすか?」
「三十代前半でかねえ…」
「結婚してるのですか?」
「聞いてやりましたよ、子育て経験はあるのかと」
「そしたら?」
「独身で実家から通っているそうです」
男は腹立たしそうにぐい飲みを空け、空になった徳利を店主に突き出してお代わりを催促した。