本町の山車人形は、神功皇后、皇子(後の応神天皇)と臣下の武内宿禰と伝えられる三体です。古事記や日本書紀に登場する伝承上の人物です。舞台となる四世紀は、朝鮮半島で倭(日本)が百済・伽耶連合軍に加わり、新羅・高句麗と戦っています。この時代に、仲哀天皇の亡き後、神功皇后が妊娠中の身で兵を率いて朝鮮半島に遠征し、帰路で皇子を出産したと伝承されています。
鉢巻を締め、弓を持ち、白羽の矢を背負って太刀を身に付けた、皇后の凛々しい姿と、鷹の羽の矢を背負い、床几に座して皇子を抱く武内宿禰の人形は、朝鮮遠征から凱旋した時の姿といわれます。市の有形民俗文化財に指定されています。
長らく江戸末期の人形師仲秀英の作とされてきましたが、元々は人形師の三代目原舟月作であることが分かりました。
明治17年、神田岩本町の人形店の仲介で山車と共に515円で購入したとの記録が残っていて、町内の40人以上の人が寄付を出し合って購入したと伝えられます。
かつての山車は、三層(三階建て)で、各層に勾欄(高い欄干)が取り付けられていました。人形は三層目の朱塗勾欄上に錦の御旗と共に飾られました。明治44年、電線架設により山車改造が余儀なくされ、二層目から上を取り払い、屋根を付けて現在の山車の姿になっています。以降、人形は町内の民家に持ち回りで飾られてきましたが、戦後は勾欄と合わせて人形を飾ることができる家も少なくなり、現在は毎年、本町138の梅文社に飾られます。
写真は、平成12年に人形衣装が新調される以前に撮影されたものです。
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