例年5月2日と3日には青梅大祭が行われます。その日には昭和43年に市の有形民俗文化財に指定された山車人形が各町内の人形場に飾られます。かつて三層高欄の山車に載っていたものです。
青梅駅より西の方に歩いて行くとまず仲町の「静御前」、次に上町の「日本武尊」があり、さらに行くと都の有形民俗文化財に指定されている旧稲葉家住宅の内部に森下町の「武内宿禰」が飾ってあります。青梅駅より住吉神社方面へ歩いて行くと本町の「神功皇后と武内宿禰」があり、さらに東に行くと住江町の「神功皇后」が飾られています。
山車人形については、すでに西から順に森下町・上町・仲町・本町とこのふるさとの文化財のコラムで紹介しました。今回は最後となる住江町の山車人形です。
住江町は住吉神社が鎮座することから宮本町とも呼ばれています。住吉神社の御祭神にちなむ神功皇后は、古事記と日本書紀の伝承によれば仲哀天皇の皇后で、天皇とともに熊襲征服に向かいましたが、天皇が急死したため、軍を率いるようになります。その後、妊娠中の身で兵を率いて朝鮮半島に遠征し、帰路で皇子を出産したと伝えられています。この山車人形はまさにその時の出陣姿をしています。紺地の錦に五爪の龍と飛雲の柄の直衣(公卿の平常服)、その下に四季の花が咲き乱れる籬模様の大口の袴をはいています。鳳凰を刺繍した平緒をつけ、脚には脛当をつけ、毛沓を履いています。そして右手には軍配を持ち、左手には太刀の柄を握っています。その姿は軍勢を指揮する勇ましさが感じられます。頭には、以前人形場の天井が低かった時には鉢巻をしていましたが、18年ほど前に天井の高い現在の場所に移ったので、当初かぶっていた江戸の人形師・雪松斎徳山が造った天冠をかぶるようになりました。
人形は明治7(1874)年に人形師・仲 秀英によって製作されたことが、衣装や頭の箱の墨書からわかっています。
なお、今年の青梅大祭は東北関東大震災の影響により中止になりました。
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