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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第二十三回》ふるさとの文化財

    神代万年橋旧跡じんだいまんねんばしきゅうせき
    【青梅市指定旧跡】
    掲載日 平成15年2月15日

    「万年橋」と称されるのは、「万年、すなわち一年中、いつでも両側から往来できる橋」であることを意味しています。

    江戸時代には一年中、多摩川の両岸を往来することができる橋が3か所あり、「多摩の3万年橋」と称されていました。

    そのひとつが日向和田駅近くの二俣尾1丁目と梅郷5丁目を結ぶ「神代万年橋」でした。

    神代万年橋は現在の神代橋より約70メートル上流側で、両岸から岩が突き出ている場所に架かっていました。 明治30年に大柳の万年橋が架けられるまで、多摩川にはこれより下流に万年橋はありませんでしたので、大雨や台風に伴って、流れる水量が非常に多い時期には、羽村や福生の人たちも対岸との往来に利用していました。橋台の跡に行くには、「へそのを観音」の裏から細い踏み分け道を下っていきますが、かつては、それより上流に幅一間前後の道路があったようです。

    文政9年(1826)の、『新編武蔵風土記稿』には、神代万年橋の規模は、「長さ18間幅6尺許」と記録されています。詳細については不明ですが、文政2年(1819)ごろに架橋されたようであり、これより下流にはいつでも渡れる橋がなっかたので、地域住民にとってはたいへん貴重な橋であったことがわかります。

    現在、川岸の北側に残っている橋台は、幅約2.5m、延長約5.8m、高さ2m前後の規模で、残されている橋台の高さから、当時の橋は多摩川の水面から10m前後の高さであったと推定されます。

    (昭和28年、市の旧跡に指定)

    市文化財保護指導員
    角田 清美

    神代万年橋の図

    『新編武蔵風土記稿』より

    参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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