掲載日 平成16年1月15日 |
天正18(1590)年に徳川家康が関東に人国してまもなく、八王子に代官所が設置され、さらに近隣の主要地には、その出張所にあたる陣屋が置かれました。 青梅は当時から木材などの大産出地であり、交通の要所でもあったことから、そのうちの一つが配置されました。 森下陣屋の支配地は三田領(現在の羽村市以西の多摩川上流域)にとどまらず、加治領、高麗領、毛呂領(いずれも八高線に沿った埼玉県内)に及び、山の根二万五千石と称されていました。 さらに、森下陣屋は、役所のほかに関所の役割も担っていたことから、八王子の代官を「大代官」と呼んだのに対して、こちらは「小代官」と呼んでいたようです。 陣屋は江戸時代半ばの延亨年間(1744~)ごろに廃止されましたが、約1920坪(6336㎡)にも及んだ広い敷地の一部が熊野神社の境内地として残りました。陣屋の跡地は青梅宿の成立と繁栄をうかがえる貴重な存在であるため、昭和28年に市の旧跡に指定されました。 また、神社の社殿の傍らには『森下陣屋のカシ(樹種はシラカシ)』があります。 市内では畑中の『大背戸のカシ』に次ぐ大木であり、古くから『おくまんさまのカシの木』と呼ばれて親しまれていることから、昭和56年に市の天然記念物に指定されました。 森下陣屋跡は、青梅市民会館の西方、約500mの青梅街道脇にあります。 | |
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市文化財保護指導員 久保田 繁男 | ||
参考資料 『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
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