掲載日 平成21年6月15日 |
鎌倉時代から戦国時代の永禄年間(1558~1570)まで、青梅市とその周辺地域を支配していたのは三田氏でした。そのため、青梅市や奥多摩町は「 永禄の時代は戦国の真っただ中。甲斐の武田信玄と越後の上杉謙信が、川中島で合戦を繰り返したのもこのころ。武蔵野も繰り返し戦場となり、南北の将兵たちが往来し、三田谷も平穏ではありませんでした。元八王子に拠点を構えていた北条氏が永禄5年(1562)春から攻略を始め、6月には金剛寺に 谷合家「日記」によると、永禄6年3月、北条の軍勢が梅ヶ谷(うめがた)峠を越え、多摩川を渡って攻めて来ました。守る三田勢は、騎馬武者80騎と部下や雑兵たちで、一挺の鉄砲を持っていました。戦闘の最中、三田勢の一人であった塚田 二俣尾駅の近くにある 海禅寺は青梅線の二俣尾駅から、徒歩で約3分の場所です。 | |
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市文化財保護指導員 角田 清美 | ||
参考資料 『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
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