位牌は霊牌ともいい、死者の法名や戒名を記し、故人の霊が宿るものとして尊崇礼拝される木製または金属製の板です。長方形で蓮台などが下部についています。起源は儒教で祖先祭の時に用いた官位や氏名を記す位版に基づくとか、神道で用いた霊代が原型であるとか、諸説あります。一般には両者の習合したものと考えられ、禅僧が日本にもたらし、江戸時代に庶民に普及しました。
今回ご紹介する「三田氏位牌」は江戸時代初期の寛永4(1627)年に三田氏を弔うために作られ、天ヶ瀬町の金剛寺に納められた物です。木製の大きな位牌は高さ60cm、上部は朱漆塗りで日輪のような円形となっており、下部は黒漆塗りに朱漆で文字が書かれています。位牌には木製の蓮台が付けられています。
平将門の末裔を称していた三田氏は、古くから青梅地域を治めていた武蔵国の有力な国衆(国人領主)でした。戦国時代には青梅地域だけではなく、周辺地域にも勢力を広げていました。しかし、永禄4(1561)~6(1563)年ごろに小田原城を本拠とする戦国大名の北条氏に攻められ、三田氏は滅亡してしまいました。
三田氏の滅亡から60年以上を経た寛永4年、旧臣であった野口刑部少輔秀房が旧主を弔うためにこの位牌を作り、金剛寺に納めました。
表面には「将門平親王朝臣三田代々尊霊」、裏面には野口刑部の自筆で三田氏の出自と滅亡に至るいきさつが記されています。
野口刑部は位牌を3基作り、三田氏の菩提寺である海禅寺(二俣尾)、三田氏が開基した天寧寺(根ヶ布)、そして三田氏の先祖とされている、平将門ゆかりの金剛寺に納めました。
海禅寺の位牌は残念ながら火災により焼失してしまいましたが、天寧寺、金剛寺の位牌は青梅市の指定有形文化財として今も大切に保存されています。
金剛寺の位牌は、本年1月から3月まで青梅市郷土博物館で開催された企画展「戦国時代の青梅」に天寧寺の位牌と並んで展示され、多くの市民の皆さんに見ていただくことができました。
金剛寺は天ヶ瀬町にあり、JR青梅線青梅駅下車徒歩約15分です。(位牌は非公開)
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