掲載日 平成15年3月15日 |
明白院は、山号を日向山と称し、天正年間(1573~1592、安土桃山時代に相当)に、平 将門の後裔と弥した三田氏の遺臣である野口刑部少輔秀夢を開基として創建された曹洞宗の寺院です。 鎌倉~室町時代にかけて、青梅を中心として多摩川上流域を支配していた三田氏は勝沼城に本拠地を置いていましたが、永禄年間(1558~1569)のはじめ、滝山(八王子)の北条氏の攻撃に備えて、二俣尾の北に辛垣城を築き、さらに宮ノ平駅の東方に楯の館を設け、辛垣城の支城としたと伝えられます。 一説に辛垣城は永禄6年(1563)3月、北条氏の攻撃を受け落城し、三田氏も滅びてしまいました。 楯の館は三田氏減亡後、北条氏の家臣、田辺清右衛門がこの地方の代官となって居住したと伝えられますが、その田辺氏もこの地を去り、孫の宇太夫の代に館は壊され、表門のみが明白院の山門として移築されたと伝えられています。 この山門は青梅街道に面し、一問一戸、四脚門、切妻造、茅葺きで、建築年代は不明ですが、桃山時代の作風を残しているといわれる貴重なもので、昭和43年に青梅市の有形文化財に指定されています。 柱等の傷みや茅葺き屋根の腐朽が進んだため、平成8~9年に約1年をかけて解体修理が行われ、現在の姿に復元されました。 明白院はJR青梅宮ノ平駅から徒歩5分の日向和田2丁目地内にあります。 見事なシダレウメと青梅七福神(福禄寿)の寺として広く知られています。 | |
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市文化財保護指導員 久保田 繁男 | ||