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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第三十三回》ふるさとの文化財

    辛垣城跡からかいじょうあと
    【青梅市指定史跡】
    掲載日 平成15年12月15日

    青梅線の二俣尾駅の北側一帯には、雷電山(標高494m)の尾根すじが続き、その南東方向にあるのが辛垣山(458m)です。 永禄年間はじめのころ(1550年代後半)には「辛垣城」と称される山城が設けられていました。

    鎌倉時代から室町時代中期のころ、多摩川上流を支配していたのは、東青梅駅近くの勝沼城を拠点とし、北関東を支配していた上杉勢の配下の三田氏でした。

    一方、多摩川より南側の地域は、室町時代になってから勢力を拡張して小田原に拠点を持っていた北条氏でした。 室町時代中期には、北条氏は破竹の勢いで多摩川を越え、勢力を伸ばしていました。

    三田氏は上杉氏勢力の最前線に当たっていたため、北条氏にとって、攻略の的になりました。 攻略に先立つ数年前から、北条氏は地元の諜報ちょうほうを行うとともに、寺院などには安寧策を行いました。 このため三田氏は、拠点の勝沼城では攻撃を防ぎきれないと考え、籠城ろうじょうのためにその山頂を中心とした、山城を構築しました。

    山城は、延長約100m、最大幅約45mの本丸を中心に、空堀と曲輪を複雑に配置した構成でしたが、難攻不落と考えられた「辛垣城」は残念なことに、わずか半日で落城してしまいました。

    城跡は、約400年を経た今日でも、遺構が確認できるため、市の史跡に指定されています。 城跡への道は、二俣尾駅の北から山地へ、辛沢に沿って延びています。

    市文化財保護指導員
    角田 清美
     中央の山(辛垣山)
    参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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