根ヶ布1丁目地内に鎮座する虎柏神社は、平安時代中期に編纂された『廷喜式』という本に『多摩郡の八座』と記されています。神社に残る縁起には永正年間(1504~1521}に勝沼城主三田氏宗によって再興され、天正18年(1590)、浅野長政が相殿に諏訪神、東西の相殿にはそれぞれ虎柏神、疫神を定め、小曾木郷の総社としたとあります。さらに江戸時代には諏訪明神と称されて幕府から朱印地三石が与えられました。広大な境域は今も成木街道と天寧寺坂通りに挟まれた高峯山の一帯に広がっています。
成木街道側にある鳥居をくぐつて参道を登ると、享保19年(1734)に建立された本殿を中心に配置された諸殿舎と江戸時代以降に寄進された石造物、広く知られた奉納相撲の土俵などがあります。その一帯は、江戸、明治期の旧態をよく留め、スギやシイの巨木の多い境内林とともに宗教的神秘性を持つ独特の空間を形成しています。
本殿の建築には、青梅村大柳の張海次郎兵衛が棟梁を務め、羽村根岸の大工宮川善右衛門らが携わりました。その形式および構造は、三間社(御扉が三つある)、切妻造、茅葺きで、身舎の規模は桁行(間口)4.9m、梁間(奥行き)2.9mと大きなものです。現存する陳札からは、江戸時代に修理が行われていたことがわかります。その後も、明治時代に階段の修理、屋根の葺き替え、覆舎の建築が行われるなどの手が加えられてきました。この本殿は公儀普請の建物を除くと東京都でも数少ない三間社の遺構の一つであり、建築年代も古い時期に属し、装飾的な要素も控えめであることから、古式の神社建築の貴重な様式を伝えているため境域とともに平成5年に都文化財に指定されました。
虎柏神社へは、都営バス(成木循環)・西武バス(飯能行)諏訪神社前下車、徒歩1分です。
|