掲載日 平成13年11月15日 |
昭和30年11月、市指定史跡となった武蔵御嶽神社境域には、神社本殿、幣拝殿を中心に、玉垣内に摂社、末社が9社、参道に随身門、末社3社、ほかに神楽殿、宝物殿、社務所、銅製鳥居などがありす。 現本殿は、明治10年(1877)神仏分離政策の影響のもとに、神明造の建物として、新しく建てられたものですが、もとは、旧本殿(都指定有形文化財)、幣拝殿、石の間を備えた権現造の建物です。 これらの建物は、徳川家康が江戸幕府を開いて間もない慶長11年(1606)に、大久保石見守長安を普請奉行として改築されたものです。 このとき、今まで南向きであったものを江戸の西の守り神として東向きに変えています。 大久保長安が納めた釣燈籠一対も市指定有形文化財で、宝物殿に展示されています。 今は摂社としてまつられている旧本殿が、都指定の文化財として認められたのは、この建物の建築様式が中世の形をよくとどめていて、都内で数少ない貴重なものだからです。 この地が、いつごろから信仰の対象としてあがめられてきたのか、最初の建築物がいつごろに建てられたのかは不明ですが、ここから布目瓦が出土していることや、建武5年(1338)の銘のある鰐口(都指定有形文化財)が残されていることなどを考えると、かなり古い時代から信仰の山として存在し、その体裁が整えられていたものと思われます。 またこのことが、徳川幕府の成立の中で重きをなし、大きな 神社の宝物殿には、国宝の | |
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市文化財保護指導員 金井 國俊 | ||
参考資料 『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
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