市内には国の指定文化財が16件あります。そのうち、武蔵御嶽神社が所蔵する物件は9件と、全体の半数以上にものぼっています。その中で、今回は国指定重要文化財「宝寿丸黒漆鞘太刀」をご紹介します。
宝寿丸の太刀は、同じ系統の刀匠が作った国の重要文化財の大太刀と国の重要美術品で一般的な大きさの太刀の二振があります。今回ご紹介する大太刀は明治44年4月17日に指定を受け、銘は「宝寿」です。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて、奥州(青森・岩手)に存在した刀匠の作で、「宝寿」の銘の前に多くは「平泉住」という文言が付される場合が見受けられます。
社伝によると、建久二年(1191)畠山重忠奉納とされ、『新編武蔵風土記稿』にも「重忠自筆の願文を添へて寄附する処なり、重忠の負太刀とも陣太刀とも云い伝へるなり」とされています。しかし、もう一方の太刀の茎に彫られた正中(1324~1325)の元号や銘からすると、重忠(1164~1205)没後の作となり、重忠奉納と言う事も伝説的なものではないかと云われています。
丸棟、鎬造のこの大太刀は全長153.5㎝と、一般的な太刀の倍ほどの長さです。茎の長さは35.5㎝、重量は2.67㎏、反りは最大で8.6㎝、中央から左右に反っています。切先は、大切先に分類され、鍛えは板目肌に杢目肌を交え、刃文は丁字風で互の目乱れ。目釘穴は3か所あります。刀身の佩表・佩裏には、刃幅いっぱいに倶利伽羅や三鈷剣の図が施されています。龍は、研磨により線彫や毛彫などは磨滅していますが、刀幅いっぱいに蛇体をくねらせ、手足共に力強く剣を掴んでいます。竜頭は雲気を吐き、剣の先を呑み込もうとしています。また、この彫物とは別に、切先の少し手前には弓矢の鏃が激突したような痕があります。そして、竜の右手付近には大きな刃こぼれがあります。これらがその当時の激しい合戦を交えたものかどうかは不明です。また、長大な倶利伽羅の彫り物と三鈷剣の彫物は、金剛蔵王権現の祭祀にちなみ、あえて表裏に彫られた可能性も考えられます。
南北朝時代を代表する大太刀の様相が当時の歴史の営みを思い起こさせるばかりでなく、伝説をも生み、私たちの身近なところに本物は存在しています。秋分の御岳山へ文化財探訪をお薦めいたします。
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