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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第八十回》ふるさとの文化財

    倶利伽羅太刀くりからのたち
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成19年11月15日

    平安時代末期のころから歴史を語る武蔵御嶽神社には、奉納された宝物が数多くあります。それらの中には、国指定の国宝や重要文化財、重要美術品、東京都や青梅市指定の有形文化財なども含まれています。

    中でも口数くちすうの多いものに刀があります。享保四年(1719)11月に作られた神宝目録には計31振の刀のあった事が記録されており、現在では62振ともいわれています。それらの中から、「倶利伽羅太刀くりからのたち」をご紹介します。

    太刀といっても通常は70~80cmの長さが一般的ですが、この太刀は全長約154cm、なかごつかの部分)約36cm、刃長約118cm、大切先おおきっさきに分類され、重さ2・28kgもある大太刀です。反りは中反り、華表反とりいぞりで、目釘穴は1か所です。またきたえ板目肌いためはだ杢目肌もくめはだ刃文はもん互目ぐのめ乱れです。高度な技術と多くの労力、最良の材料を集め、奉納のために特別に作り上げたものでしょう。茎の佩表はきおもてには銘があり、「元和九年癸亥みずのとい二月吉日下原したはら山本源次郎廿五才打之」裏には「奉納 武州多東郡杣保そまのほ長渕郷青梅村久下善兵衛尉」とあります。下原とは、現在の八王子市恩方地区や元八王子地区を指し、山本氏は室町時代末期から幕末にかけて刀槍類を製作していた刀工集団です。源次郎は下原鍛冶の始祖周重ちかしげの二男の家で、代々照重てるしげ)を名乗り、元和げんな九年(1623)2月、四代目照重が25歳のとき、四代目を襲名する前に製作したもので、若年でのその技量が示された作品として貴重です。

    一方、裏に彫られた「多東郡」という地名は金石文に記された市内最古の史料で、奉納者の久下氏についても青梅の歴史を残す人物の関連を裏付ける史料として重要です。刀身の佩表には倶利伽羅竜があり、梵字の不動明王を表す種字を図案化して線彫りで表しています。裏には「南無天満大自在天神」と草書体で彫られています。以上のように、多摩地域唯一の郷土刀・下原刀であることに加え、そこに記された銘や製作の由来、奉納者などが明確であることから青梅市の有形文化財に指定されています。

    市文化財保護指導員
    鈴木 晴也
     参考資料『青梅ゆかりの文化財』より
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