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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第六十八回》ふるさとの文化財

    中原章なかはらあきらはか
    【青梅市指定史跡】
    掲載日 平成18年11月15日

    中原章なかはらあきらは江戸時代中期の学者で、江戸の文化はもちろんのこと、京都の堂上文化をも青梅へ導入し、江戸時代後期における青梅文化の発展に、大きく貢献した人物です。

    加賀国(石川県)出身で、若いころは京都で、和学・雅楽・弓術・鷹狩の故実・剣術を学んだといわれています。 いつのころにか常保寺に寄寓きぐうし、また市中に学塾を開いて門下生の指導に当たりました。 門下からは、漢学や和歌に長じた根岸典則ねぎしつねのり、書家として著名な小峰峯真こみねほうしん、真浄寺の住職で歌人として知られた淨月律師じょうげつりっし、俳諧の分野で活躍した師岡公貞もろおかきみさだなど、多くを出しました。

    生誕については不明ですが、寛政2年(1790)10月1日に他界しました。 70数歳であったといわれています。

    墓は本堂の左手に建つ、六地蔵の建物の裏にあります。 山状角柱型をした墓石は、安山岩製で2段になっており、基壇は高さ約24㎝、その上に乗る上段は高さ約115㎝、幅約34㎝の大きさです。

    正面には大きく「中原 章之墓」と彫られ、その左下には小さく「友人ロロ」と彫られています。 この文字は門弟の小峰峯真が記したもので、周囲の三面には常保寺十一世の住職である、小蓑庵支兀こみのあんしこつ和尚がんだ文面が彫られています。

    なお、章の墓の左側には、文化3年(1806)に没した正岡玄道の墓があります。 玄道は狂歌を好んだ文人でした。

    墓がある常保寺は、青梅駅から徒歩で約10分の距離です。

    市文化財保護指導員
    角田 清美
    中原章の墓参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
    中原章の墓常保寺本堂の左手、六地蔵の裏に有ります。 猫地蔵

    開運 招き猫地蔵

    昭和初期、裏宿の通称 どんつく様(お堂)の境内にあった猫地蔵を廃寺に伴い、当地に引き取り安置されたそうです。最近屋根が付きました。
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