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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第百四十二回》ふるさとの文化財

    御岳山一みたけさんいち鳥居とりい
    【青梅市指定史跡】
    掲載日 平成25年1月15日

    鳥居は、神社境域の入口であることを意味します。現在の武蔵御嶽神社一の鳥居は、御岳二丁目にある朱色が塗られた大鳥居ですが、かつては多摩川南岸で、吉野街道(都道45号線)の御岳トンネルの上に立てられていました。

    鳥居の型式は明神鳥居で、材質は安山岩です。台石から笠木かさぎの上端までは高さ4・2m、台石からぬきの下までは高さ2・3m、笠木と島木しまぎは両端がいくぶん反り上り、両端の幅は約4・5m、柱の基礎の部分での幅は2・5m、柱の円周は90cmの規模です。

    額束がくづかはコンクリート製で、額は見当たりません。

    御嶽神社に向かって左側の柱には、大きな書体で「文化七庚午歳かのえうまどし七月吉日 村中奉納」と書かれているので、西暦1810年の造立です。その下には十三人の発願者の名前が彫られています。右側の柱には、賛同し、寄進した人たちとして地元の柚木村や御嶽村の人々が八人、それに江戸八丁堀や深川の人たちの名前が彫られています。

    鳥居の近くには、御岳山碑と武州御嶽山碑が立てられています。御岳山碑は文化二乙丑きのとうし(1805)年春三月に立てられ、御嶽神社までは約4・2kmの距離とあります。武州御嶽山碑は切石で、文化三歳次丁卯春ねんじひのとうはる三月に立てられています。

    これらは、明治19(1886)年までは7~8m高い位置を通る古道に立てられていましたが、現在の位置に旧道が開設された時、移設されたといいます。この旧道も、昭和27年に廃道となりました。

    市文化財保護指導員
    角田 清美

    御岳山一の鳥居

     この都道の上にある一の鳥居は文化七年(1810)地元の人たちにより寄進され、当時は現在地の上にあった旧道に建てられていたが、明治十九年新道開通とともに現在の場所に降ろし移された。ここ波及御岳村の入り口に当たり、昔は御嶽神社参詣者で賑わい、茶店も出ていた時代があった。__《青梅市教育委員会より》

    平成25年1月23日撮影

    御嶽山碑

    (根岸典則の撰文を刻む)

    御岳山一の鳥居

    武州御嶽山碑

    平成25年1月23日、今日念願であった御岳山一の鳥居を見に出かけました。

    20年ほど前に一度訪れたことがありましたが、何度か挑戦をしていたのですが道中が荒れていて鳥居まで辿り着く事が出来ずにいました。

    1月15日発行の広報おうめに取り上げられたことできっと整備されたのではないかと期待を膨らせて行って来ました。 結果、無事に拝見する事が出来ましたが、まだまだ整備されていませんでした。

    鳥居付近は下草もなく綺麗な状態でしたが、入り口付近の様子は「この先入るべからず」とでも言いたげな、進入を拒むかのように草で覆われていました。これでは御岳山一の鳥居を見に訪れる人もいないでしょう。

    この様子は、動画を見て下さい。YouTube「御岳山一の鳥居」

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