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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第四十五回》ふるさとの文化財

    勝沼城跡かつぬまじょうあと
    【東京都指定史跡】
    掲載日 平成16年12月15日

    勝沼城跡は市内東青梅地区、四小の北側一帯に広がる、丘陵地を巧みに利用した平山城の跡です。この城は、鎌倉時代後期(1300年ころ)から戦国時代(1560年ころ)にかけて、青梅市とその一帯を約300年間にわたって支配した三田氏の本拠地でした。付近の地名は「勝沼」ですが、この地名が古文書で最初に現れるのは応永年間(1394~1428)ですので、室町時代前期はすでに使われていたことが分かります。

    戦国時代を生き抜く中、三田氏は越後や北関東地方を勢力下に置いていた山内上杉氏に属していたため、永禄6年(1563)3月に、南関東を支配していた小田原北条氏に攻められ、滅亡しました。

    滅亡後、勝沼城の城主となったのは師岡山城守将景であったため、城の名称も師岡城になりました。現在、城跡から南東側一帯の地名が「師岡」となっていますが、これは師岡城に由来しています。

    さて、残されている城跡は東西約400m、南北約150mの規模です。これは古い構造であった城を、師岡氏が難攻不落の城に再構築したもので、空堀や土塁が張り巡らされています。

    時は戦国時代です。箱根より西側の日本を支配していた豊臣秀吉は、天正18年(1590)6月末、前田・上杉両軍を先方として、小田原北条氏を攻撃しました。当時、小田原北条氏の支城のひとつであった師岡城は、あっけなく豊臣軍の勢力下に飲み込まれてしまいました。現在、勝沼城跡は東京都の史跡に指定されています。

    勝沼城跡へは東青梅駅から北へ徒歩で約15分。光明寺や妙光院の背後一帯の丘陵地です。

    市文化財保護指導員
    角田 清美
     参考資料『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
     勝沼城跡地から見た河辺方面の景色、眺めは最高です。
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