掲載日 平成28年11月15日 |
青梅市域を含めた多摩川上流一帯は、鎌倉時代以降、東青梅の勝沼城を根拠地としていた三田氏が支配していました。しかしながら、永禄6(1563)年3月の戦争で(あるいは永禄4年7月ごろ)、小田原を本拠地としていた北条氏に敗れたため、以降、付近一帯は北条氏の勢力下におかれました。勝沼城には、 時は戦国時代です。周囲には、常陸国の佐竹氏、下野国の宇都宮氏、陸前国の伊達氏、甲斐国の武田氏、三河国の徳川氏などが勢力を競っていました。北条氏は敵の攻撃に備え、機会あるたびに勢力下の武士団に結集命令書を発し、あるいは檄を飛ばしていました。 「清戸三番衆状」は、永禄7(1564)年5月23日に、多摩川上流域に在住する41人の旧三田氏家臣団に向けて出された命令書で、幅約188cm、高さ約15.6cmの大きさです。 そこには、「清戸三番衆/三田 本史料は非公開ですが、複写物は郷土博物館に保存され、また、当時の詳細な状況は「青梅市史」に述べられています。 問い合わせ 郷土博物館 ☎23-6859 | |
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市文化財保護指導員 角田 清美 | ||
清戸三番衆状 |
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