掲載日 平成27年1月15日 |
室町時代以降、青梅市域を含めた西多摩地方は、東青梅の勝沼城を本拠地としていた三田氏が支配していました。 しかし、永禄4(1561)年~同6(1563)年ごろに三田氏は小田原を本拠地としていた北条氏に滅ぼされたため、以降、付近一帯は北条氏の勢力下に置かれるようになりました。 関東の統一を目指す北条氏は、佐竹氏、宇都宮氏ら北関東の反北条勢力や、北陸地方の上杉氏、甲信地方の竹田氏等とたびたび戦を交えていました。 これら敵対勢力との攻防に際して、北条氏の勢力下の武士団に結集命令書を発し、あるいは、げきを飛ばしていました。 本書は、永禄7(1564)年5月23日に、青梅近辺に在住する41人の旧三田家臣団に発せられた命令書で、当時反北条氏勢力との最前線に近かった そこには、「清戸三番衆/三田 内容を意訳すると、「三田治部少輔・師岡采女佑・藤橋小三郎などは部下を引き連れ…三田谷の各所を出発し、午前8時以前に箱根ヶ崎に遅れないよう集合し、また、一人でも不参加の者が無いようにせよ…」という事が書かれており、これ以降の部分には、「遅れた場合には切腹を命じる」という厳しい内容も含まれています。 なお本資料は、和田町の個人宅に保存されており非公開です、 掲載した写真は、レプリカで、市郷土博物館で展示されています。 問い合わせ 郷土博物館 ☎23-6859 | |
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市文化財保護指導員 角田 清美 | ||
清戸三番衆状 |
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