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  • 更新日 2015年1月7日
  • 青梅市「広報」より
    《第百六十五回》ふるさとの文化財

    今井城跡いまいじょうあと
    【青梅市指定史跡】
    掲載日 平成27年1月1日

    青梅市内の東端に位置する今井地区には、中世の平山城である今井城跡が保護されています。 付近の地形は、集落の北側に連なる霞丘陵から南東方向へ延びる細長い台地で、今井城跡は台地の先端に位置しています。 雑木林に覆われた城跡は、周辺の低地からの高さは3~5mで、規模は東西約115m、南北95mの広さです。

    「城跡」と聞くと、多くの人は高く丈夫な石垣を想像しますが、本格的な石垣がある城は戦国時代後期、16世紀半ば以降に築かれた城で、それまでは空堀からぼり土塁どるいを組み合わせた構造です。

    今井城跡の北側と東側には、深さ約1mの後川うしろがわが流れ、南西側の一部には、かつては幅が約2mの水堀が残っていました。 城内には主曲輪しゅくるわを囲むようにして空堀と土塁が残っています。

    今井城は今井氏が城主であったと伝わっています。

    城がいつ頃築かれたかは不明ですが、発掘の際に出土した板碑の年号から、鎌倉時代の末期の正和元(1312)年の時点で何らかの施設があったことは確かのようです。 その後、15世紀末期から16世紀前半頃にこの地の支配者(今井氏か)が滅亡し、別の支配者に交代した可能性が発掘の結果から指摘されています。 現在残る城跡は戦国時代の16世紀半ば以降に築かれたようですが、誰が何の目的で城を築いたのかは謎に包まれています。

    「城」と聞くと、多くの人は殿様がいて、甲冑かっちゅうに身を固めた武士たちが活躍する時代劇を想像しますが、それは映画やテレビでの話です。 実際には、「城」はいくさがあった時、地元の庶民たちが殺されないよう、敵にさらわれないように、逃げ込む場所を兼ねている場合もありました。 人々を守るのが武士の役割です。 今井城の主曲輪は東西115m、南北約95mの広さですが、城域全体の広さは、東側は金子橋付近、西側は大堀まで、南側は霞川で、北側は霞丘陵までの広い範囲です。 付近には、城ノ腰・大手・馬場崎・堀之内など、今井城と関係が深い地名が残っています。

    今井城跡(今井1-552)へは、西武バス原今井バス停下車、北に約500mの場所にあります。 城域内への入口は北西側にあり、説明版が立てられています。 駐車場はありません。

    問い合わせ 郷土博物館 ☎23-6859

    市文化財保護指導員
    角田清美
    今井城の空堀跡今井城の空堀跡
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