掲載日 平成17年10月15日 |
成木地区は江戸時代より前から、石灰岩を焼いて石灰を生産していましたが、広く世に知られるようになったのは、慶長11年(1606年)11月からです。 この年の春から、江戸城では修改築が行われました。 築城の最後の化粧仕上げの際、風雨に強く、崩れにくく、美しい白亜の 北小曾木ふれあいセンター(旧青梅市立第十小学校)の裏山は、地元では「観音山」と呼ばれ、良質の石灰岩が産出されたことから、昭和30年に市の史跡に指定されました。 北小曾木川の対岸で、現在は都バスの折返し場となっている広場の前に、幅約10メートル、奥行き9メートル前後、高さ約2.5メートル前後の 運び出された原石は、窯の上にピラミッド状に積み上げられ、900度以上の高温で1週間前後焼かれた後、消石灰にされました。 蔵(現在、自治会館の建物がある位置にあった)に入れられしばらく保管された後、成木往還を馬の背で江戸城へと運ばれました。 以降、付近の各地で石灰が焼かれるようになり、成木往還は石灰俵を背にした馬の姿が見られるようになりました。 なお、観音山近くの北小曾木川の際にあるコンクリートで構築された石落としては、大正から昭和時代にかけて作られたものです。 観音山へは都バス上成木線の北小曾木バス停下車3分のところにあります。 | |
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市文化財保護指導員 角田 清美 | ||
上・石灰倉 左・石灰石採取跡 右・石灰焼遺跡 参考資料『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
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