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  • 更新日 2015年5月28日
  • 青梅市「広報」より
    《第百七十回》ふるさとの文化財

    絹本着色高野四所明神図けんぽんちゃくしょくこうやししょみょうじんず
    【東京都指定有形文化財】
    掲載日 平成27年5月15日

    今年は弘法大師空海による高野山開創1千200年の年です。絹本着色高野四所明神図けんぽんちゃくしょくこうやししょみょうじんずは、この開創時の伝説が描かれた絵画で、天ヶ瀬町にある金剛寺の所蔵です。縦70.2㎝、横30.4㎝の大きさで、掛軸仕立てです。

    画面中央に、二段二列に並ぶ唐装束からしょうぞくの四神と白いぬと黒狗が二頭ずつ、上方に高野山、下方に高野山山麓に建つ丹生都比売にうつひめ神社前景が描かれています。白雲に乗る四神は、向かって右上が丹生都比売、左上が丹生都比売の子・高野御子神みこがみ、右下が大食都比売おおげつひめ、左下が市杵島比売いちきしまひめです。

    空海が開創の地を探していた時、白と黒の狗を連れた狩人が現れて、高野山へと導きました。狩人は高野御子神の化身で、古くからこの地に祭れれてきた丹生都比売神社の四祭神の一神でした。「高野山」の名は、高野御子神への感謝をこめてつけられたと伝わります。空海は、壇上伽藍建設に先立ち「御社みやしろ」を建て、丹生都比売神社から神を迎え高野山の守護神として祭りました。

    絵の背面に、金剛寺住僧・良栄が延宝7(1679)年に京都智積院から招来した旨の墨書がありますが、作者は不明です。 様式などから南北朝時代の作と推定されています。上記四神の画像として類例のまれな図様と唐装束が珍しい、神仏習合の貴重な美術品として、昭和40年に都有形文化財に指定されました。

    絵は保存上の理由から非公開となっています。

    市文化財保護指導員
    三好 ゆき江
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