天ヶ瀬町には、青梅の名前の由来となった真言宗豊山派の古刹「青梅山無量寿院・金剛寺」があります。その昔、承平年中、平将門がこの地に仏縁を結び一枝の梅を地に挿し祈願したそうです。すると、この梅は枝も幹も栄え、実も結ぶようになりましたが、その実は秋になっても熟することなく青いままなので、いつか「将門誓いの梅」といわれ、「青梅」の地名も起こり、寺も「青梅山」と称するようになったといわれています。
この金剛寺には、多くの文化財が今に伝えられています。
その内の1つ、都の有形文化財に指定されている「金剛寺聖教」は789点(52巻40帙82包580冊35紙)に及ぶ真言宗関係の経典・典籍類(聖教典籍)です。これらはすべて写本ですが、原本が散逸してしまっているものも含まれており、中世関東の真言宗に関する資料として貴重なものです。
また、「金剛寺聖教」とは別に都の有形文化財に指定されている真言宗関係の典籍類が3種存在しています。
「灌頂文要集」(1冊)は、灌頂(仏教で行われる儀式)に関するさまざまな要文を条目別に収録したものです。奥書から、文明11(1477)年正月に書かれたものを永禄(1569)年に書写したものであることが分かります。原作者は明確ではありませんが、著名な学僧であった印融(1435~1519年)である可能性が指摘されています。
「三宝院伝法灌頂聞書」(3冊)は、東密三宝院流伝法灌頂の際の作法等に関する口説を収録したものです。原本は応永24(1417)年に記されたもので、金剛寺本は永禄10(1567)年9月に書写されました。
shiddham反音私抄(1冊)は、仏教で用いられる梵語(古代インドのサンスクリット語)を表記するのに用いられた梵字に関する書物である悉曇十八章について記されたものです。片仮名によって梵字の反切(文字の発音を表したもの)を記し、十八章に関する考証を加えています。前述した印融の自筆本と考えられていますが、金剛寺に由来した経緯は不明です。
なお、これらの聖教類につきましては、非公開となっているため、実物を見ることはできません。
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