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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第七十七回》ふるさとの文化財

    金剛寺表門こんごうじおもてもん
    【東京都指定有形文化財】
    掲載日 平成19年8月15日

    青梅駅より西へ15分ほど歩くと、青梅の地名の由来である「将門誓いの梅」(都天然記念物)がある金剛寺にたどりつきます。金剛寺は青梅山おうめざん無量壽院むりょうじゅいんと号し、真言宗豊山ぶざん派の名刹めいさつで、承平年間(931~938)の創建。平将門が開基と伝えられ、寛空僧正かんくうそうじょうを開山とし、本尊は白不動明王(掛軸・鎌倉時代)です。創建当時は、将門の持佛阿弥陀如来じぶつあみだにょらいを本尊としていたため無量壽院と号しています。

    平将門が討滅され、その後三百余年もの間、無住となりますが、元亨年間(1321~24)に頼遍上人らいへんしょうにんにより再興。天正、永禄のころ、小田原後北条氏の帰依をうけ寺運が栄えました。天正18年(1590)朱印地20石を寄せられ文化年間(1804~18)までに寺観は整えられましたが、天保2年(1831)、表門と鐘楼しょうろう、弁天堂を残し焼失。現本堂は明治17年(1884)の建立です。

    表門(山門)は、僧正門と呼ばれており、建築当時は朱色に塗られていたようで俗に赤門ともいわれます。建造年代については確かな史料がなく、寛文期(1661~73)以前17世紀中期ごろの建立と推測されます。構造および形式は、一間一戸四脚門いっけんいっこしきゃくもん切妻きりづま造り、瓦棒かわらぼう銅板葺どうばんぶきで唐様です。本柱ほんばしら控柱ひかえばしらとも円柱えんちゅう粽付ちまきつき(397㎜・197㎜)で礎盤そばん上に建っていて、小規模な門ですが虹梁こうりょう板蟇股いたかえるまた妻飾つまかざり木鼻きばな拳鼻こぶしばななど細部に多種の趣向が凝らされていて、都下でも有数の四脚門の遺構です。屋根および礎盤などは改変されていますが、細部は桃山時代の様式をよく伝えています。

    明治初年ごろに街道の変更がなされ、これにつれ表門は現在地に東向きに移されました。昭和36年1月31日都有形文化財に指定されています。

    市文化財保護指導員
    大久保 芳木
     参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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