天ヶ瀬町にある金剛寺は、真言宗豊山派長谷寺の末寺です。国の重要文化財「絹本着色如意輪観世音像」をはじめとした数多くの文化財を有し、寺域も市の史跡になっています。創建は、承平年間(931~938)に平将門がこの地に、馬の鞭としていた一枝の梅の木を挿して『我願成就あらば栄ふべし。しからずんば枯よかし』と誓ったところ、その枝は根を張り葉を繁らせたので、将門は喜び仏閣を建立し、京都・蓮台寺の寛空僧正に開山を請いました。しかし、しきりに辞退した寛空は、自分で彫った弘法大師像を送り、開山祖に擬して、寺名も空海の灌頂号 「遍照金剛」にちなみ「金剛寺」としたと伝えられています。
金剛寺は、青梅山無量寿院と号し、本尊は「白不動明王像」です。元亨年間(1321~1323)に頼編上人によって再興され、永録5年には北条氏から寺領安堵状(市有形文化財)を寄せられ、さらに天正19年(1591)に徳川氏より二十石の朱印状が寄せられました。天保12年(1841)の火災により、現存の僧正門(都有形文化財)と鐘楼を残し焼失してしまいましたが、文久元年(1861)までに本堂、庫裏が再建されました。
山門をくぐると左に鐘楼、手前に池の水が流れ、右手に庫裏、正面に本堂があり、その中庭に19本の石柱で囲まれた「将門誓いの梅」の古木があります。この梅の木の実は、いつまでも青々として熟さず、実が落ちないことから青梅という地名の発祥になったと言われ、大正11年(1922)に「金剛寺の青梅」として府(都)の天然記念物に指定されました。
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