掲載日 平成16年4月15日 |
往時から青梅と川越を結ぶ道が、現在の今寺地区をほぼ東西に横切り、川越街道(町屋街道・根通り道)と呼ばれています。 街道を走るバス路線の今寺榎バス停(西武バス)から東側約50mに、今寺駐在所前という交差点があり、その北東角というよりも交差点の内側に樹高約15m、目通り幹囲約3.8mのエノキの木が立っています(今寺2丁目)。 この木が、昭和32年11月3日に市天然記念物に指定された1里塚のエノキで、川越街道の1里塚として植えられたと伝えられています。 一里塚は戦国時代末期に、一部で造られたとされていますが、制度化されるのは江戸幕府が開かれ、主要街道が整備されるのに伴います。 正式には街道沿い一里(約4㎞)ごとに、五間(約9m)四方の塚を道の両側に築き、エノキ、マツ、ケヤキ等を植えたといいます。 一里塚は、旅人の休憩所や里程の目安、運賃決定の基準等として役立ちました。 エノキは大木になり遠くからでも目立つ、神木として信仰の一対象にされた、実が甘く食べられる等のため、一里塚によく用いられたそうです。 ただし、今寺の一里塚のエノキには、一里塚であった確証はないとされますが(青梅市史・下巻)、街道の里程標として多くの旅人に便宜を供したことでしょう。 川越街道は今でも幹線道路の一つで、多くの車が交差点の信号で停車する以外、エノキの協を走り抜けていきます。 街道の時間的な変化を教えてくれる一里塚でもあるようです。 | |
---|---|---|
市文化財保護指導員 櫻岡 幸治 | ||
参考資料 『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
||