専門職の条件

平成27年06月26日(金)

「母の体調の変化はメマリーの副作用ではないかという疑いが拭い去れません。一旦服薬を中止して様子をみてもらえませんか?」

 穏やかに訴えたつもりですが、話を聞いた職員の反応はにわかに硬直したものになりました。

「事情は分かりました。しかしお薬は、先生の指示で出されているものですので、私どもで服薬を中止することはできかねます」

 もっともな答えです。家族が訴えたからと言って、医師の処方に基づく投薬を現場レベルで中止することはできないでしょう。ましてや医師は施設のオーナーです。職員からすれば雇用主なのです。

「しかし、母の様子が変化していることは職員さんも気付いていらっしゃるでしょう?」

「確かにここんとこ弱られたなという印象はありますね」

「それだったら先生に家族の意向を伝えて早急に受診させて頂けませんか」

「わかりました。明日の朝クリニックにお連れします」

 医師も母のむくんだ足と不安定な歩行を見れば、メマリーを中断して様子を見てくれるに違いありません。しかしそのときには私たち夫婦は、グループホームの体制に少しずつ不審を抱き始めていました。週に一度面会する家族でさえ母の異変に気がついたというのに、入居以来、毎日母の様子を観察しているはずの看護師が、むくみを靴のせいにしたり、歩行や失禁の様子に異常を感じたりしないというのは不自然です。最近衰弱が進んでいるという印象があるのなら、漫然と服薬させ続けないで、医師に本人の状況を伝えるべきでしょう。或いは独善的な医師で、一度決めた投薬内容について職員が口を挟むのを好まないのかも知れません。或いは気の弱い職員たちで、医師の治療内容に影響を与えるようなことは伝えられないのかも知れません。いずれにせよ、

「先生、夜分済みません。家族がメマリーの副作用についてうるさく言ってきましたので、明日の朝診察に連れて行くと返事しておきましたが、どうしましょう?」

「診察の必要はないでしょう。家族には心配はないから安心するように伝えといて」

 などという電話のやり取りで済まされてはたまりません。直接医師に電話すべきなのでしょうが、医師は施設のオーナーです。副作用を巡って意見が対立すれば、

「私を信頼して頂けないのなら、ご本人をお預かりする訳にはまいりませんね…」

 ということになる可能性もあります。

「確かに男のあなたが電話すれば角が立つかも知れないから、明日一番に直接私が先生に電話するね」

 妻は頼もしい顔をしていました。


 何度か声を詰まらせ涙声で懇願する妻の様子は、嫁とはいえ、親を思う子の心情に溢れていて、私の涙腺までゆるんでしまいました。

「母をお預けしておきながら、先生にこんなこと申し上げるのは、本当に申し訳ないことだと思うのですが…何しろ大切な母なものですから、家族としては最近の衰弱の様子はメマリーというお薬の副作用ではないかと心配をしているのです。一度診察して頂いて、どうか治してやって下さい。ホームの皆さんには大変良くして頂いて、母も喜んでいます。私たちも感謝しています。ただもっと元気な足取りでホームに入居したのです。それがたった三ヶ月でだんだん小さくなって、ふらついて…。どうか先生、よろしくお願いします」

 目を真っ赤にして電話を切った妻に、

「先生は何て言ってた?」

 同じように目を赤くした私が尋ねると、母にはうっ血性心不全があって、数値は改善しているが、足のむくみはそのせいかも知れないので、診察してよく確かめるという内容でした。うっ血性心不全という病名も初耳でしたが、とにかくこれで診察の約束は取り付けました。念のため翌朝、昨夜と同じ職員に、医師にも電話した旨を伝えると、母は既に看護師に付き添われて受診に出かけていました。