専門職の条件

平成27年06月26日(金)

「もしもし…」

 医師から二時に電話するように言われた旨を受け付け職員に告げた私は、それからさらに呼び出し音を何度数えたことでしょう。医師に電話を待たされるだけで立場がどんどん下になって行くから不思議です。それを経験的に知っていて故意に待たせているのだとしたら巧妙ですが、そのために却って私の心に対等でいようという構えができたようです。

 やがて医師が電話に出ました。

「あの…二時に電話するよう言われたのでお電話していますが…」

 私は自分を名乗ってそれだけ言うと敢えて黙って返事を待ちました。すると、

「どんなご用件でしたか?」

 医師はどうしてもこちらから要件を言わせたいようです。そこで、

「あれ?メマリーの副作用について、妻が昨日、直接先生に涙ながらに訴えたと思いますが、ご記憶にありませんか?二時に電話を入れるように指示があったのは、グループホームの職員から先生に私どもの気持ちが伝わって、そのご説明のためとばかり思っていましたが、違いましたか?」

 私はそれだけ前置きすると、本人の体調が目立って悪化しているように思われるので、一度メマリーを中止して様子を見てほしいと改めて依頼しました。

「お母様はですね、うっ血性の心不全がありまして、数値は改善されていますが、念のため利尿剤を出しておきました。それから入居時に背中の痛みを訴えられましたので、セレコックスを投与していますが、最近は痛みもないようですので今回こちらは中止したいと思っています」

 医師はどういう訳かメマリーには触れません。話題を逸らせて周辺の話をしているうちに、引き下がる患者、家族があるのかも知れませんが、優先順位を間違えるなという妻の声が聞こえます。私は母の命に関わる相談をしているのです。

「いえ、私どもはメマリーの副作用を心配しています。ホームの職員さんに伺うと、母が出入口に立って帰宅願望を訴えたのがメマリー処方の理由のようですが、入居間もない利用者が家に帰りたいと言うとメマリーが投与されるのですか?」

 するとガサガサとカルテをめくる音がして、

「ええっと、確かお母さんは文化会館に出かけて転ばれましたよね。つまり、ふらつきはメマリーを服薬する前からある訳ですし、随分遠くまで徘徊されていることがご近所からも指摘されています。そういった問題行動がある場合、メマリーは有効で…」

「ちょっと待ってください。文化会館は人に会うために出かけて行きました。道が分からない母は、携帯電話を耳に、私の指示通りに景色を確かめながら歩いていので、うっかり足元の段差につまずいたのであって、ふらつきによる転倒とは違います。母は運動のためわざわざ遠くの店まで買い物に出かけていましたが、ちゃんと帰宅しています。同じものを何度も買っては来ましたが、徘徊とは違います。それに今おっしゃった症状は、どれもグループホームでの観察結果ではなく、入居前に私がお渡しした手紙の内容ばかりではありませんか」

 そもそも事前に了解を求められないで勝手に処方された薬の副作用を家族が指摘しているというのに、なぜ中止して様子を見ることができないのかという旨を穏やかに伝えると、

「まあ、そこまでおっしゃるのなら、中止も止むを得ませんが、体内には薬が蓄積されています。いきなり中止すると、色々と不都合がありますので、それでは徐々に減らしていくことに致しましょうね」

 ようやく話はスタートラインに立ちました。ここまではホームの職員から聞いて知っています。医師は自分の権威をもって直接説得すれば、家族は時間をかけたメマリー減量について納得すると思ったのでしょうが、そんな軽い問題ではありません。

「徐々ではなくて、直ちに中止して下さいと申し上げています」

「いや、それはお母様の体にとって負担が大き過ぎます。三月十日から五ミリで服薬を開始して、本日六月二日現在十五ミリですから…」