専門職の条件

平成27年06月26日(金)

「先生?先生?」

「え?」

「私ども、実はメマリーを製造している製薬会社に問い合わせました。少しでも副作用の可能性があれば、直ちに中止して様子を見るべきだと言われました。家族がそこまで患者の変化を指摘している状況で、徐々に減らして行くなんてことは考えられないということでしたが、先生のおっしゃることとどちらが正しいのでしょう」

 と、そこまで言うと、

「はい、はい、分かりました。中止します」

 よろしくお願いしますという私の言葉を最後まで聞かないで電話は切れました。私は早速ホームの職員に電話して、

「お陰様で、先生が理解して下さってメマリー中止の指示を出すとおっしゃって下さいました。明日からは現場の皆さんを困らせないで済みます。色々申し上げて申し訳ありませんでしたが、大切な母のことですから、どうかご理解ください」

 医師との電話の結果を、努めて明るく報告しました。


 私たちは平行して母を別のグループホームに移す準備を進めていました。ここは住み慣れた故郷だし、みんないい人たちばかりで幸せだと、ようやく母の口から聞かれるようになった矢先の転居になりますが、ためらいはありませんでした。医師がオーナーの施設はもう懲り懲りでした。

 グループホームは住居です。本来ならホームに住んで、入居前のかかりつけ医に通院しても構わないのですが、通常ホームの職員体制には、それぞれの通院に付き添うゆとりはありません。それに、ばらばらと別々の医療機関に通院されるのも運営上は不都合ですから、医療は契約した協力医療機関から提供されるのが一般です。当然医師は良質な医療の提供に努め、ホームは質の高いケアを目指します。例えば副作用が顕著であれば、ホームの職員から指摘されますし、例えば入居者の体に虐待めいた形跡や栄養不良が見られれば、医師が気付きます。

 ところが、医師がホームのオーナーの場合、職員にとって医師は雇用主でもあるのです。医師の側にその意図がなくても、従業員は雇用主、つまりは医師の意向を過度に斟酌する傾向を持つのは否めません。帰宅願望があるという報告をしたら、思いがけずメマリーが処方されたとしても、先生、この程度の問題行動は現場のケアで対処しますので、投薬は見合わせて下さいとは言えません。入居者にメマリーの副作用と思われる変化が見られても、薬を中止して様子を見てはどうでしょうとは言えません。ましてや入居者に一律にメマリーを投与するような非常識な処方がなされたりすれば、従業員はそこに医師というより経営者の意図を汲み取って、反対することはできないでしょう。こうして医師に絶対服従するクループホームの構造が成立するのです。


 医療は医師と患者の共同作業です。正しい診断が行われるためには、正確な検査データと、患者からの詳しい症状の報告が不可欠です。さらに正しい治療が行われるためには、服薬による体調の変化に関する患者の訴えと看護師による観察が必要です。薬の効き目は一人ひとり違います。効果と副作用のバランスを取りながら、薬剤の適切な種類と量を探るために行われる、医師と患者家族の一連の共同作業が治療プロセスであるはずです。ところが、患者が認知症の場合、肝心の本人からの情報が得られません。現に母は、たった今、薬を飲んだ事実を忘れていますし、過去の自分の体調と比較して現在を語るということができません。足のむくみは上靴のせいだと言われれば、自分の体に起きている深刻な異変に思いが及びません。歩行が不安定になったことも、活動性が低下していることも、本人には自覚ができないのです。

 従って認知症高齢者ばかりが家族から離れて生活するグループホームの場合、医療の提供には、特別の慎重さが求められます。国の定めた設置基準によると、グループホームには看護師を配置する義務はありません。代表者と常勤管理者とには、一定の介護経験や研修受講の義務が課せられてはいるものの、常勤管理者のうち一人がケアマネージャー資格を有してさえいれば、介護職員には何の資格要件も問われません。つまり、グループホームは、あくまでも少人数の認知症高齢者が集う生活の場という位置づけであり、制度上は職員に特別な専門性が求められてはいないのです。メマリーのような脳神経に作用する薬物を投与する場合は、当然、医療の側が主導して、効果と副作用に関する細心の注意を払わなくてはなりません。薬の投与によって予想される体調の変化を網羅したチェックシートをグループホームの職員に渡して、服薬の度に患者の変化を記録させるくらいの努力をしなければ、治療は医療側の一方的な作業になり果てて、それは物言わぬ患者の生命に関わるのです。