専門職の条件

平成27年06月26日(金)

 聞けば、母にメマリーが処方されたのは信じられない理由でした。

「お母さんは入居後しばらく家に帰るとおっしゃって、出入口に立っていらっしゃいました。たまたま施錠してなかった出入口から外へ出てしまわれたこともありました。方向が分からなくて戻っていらしたからよかったのですが、そのことを院長に報告したらメマリーが出たのです」

「ちょっと待ってください。きちんと診察をして処方されたのではないのですか?グループホームに入居すれば、家に帰りたいと思うのは正常な精神活動でしょ?なだめたり別の話題に誘ったりして気分を変えるのが職員の仕事であって、薬で対処するのは変じゃないですか?こうして色々申し上げる私に対しては薬で黙らせろということにはならないでしょう。母が認知症だから安易に薬が出せるのです。先生はどれくらいの頻度で診察されるのですか?」

「月に二度はホームに足を運ばれます」

「と言うことは、毎週会いに行く私たちの方が本人の様子には詳しいですよね」

「…」

「実はメマリーの副作用については調べてもみたし、他の施設に勤務する友人から色々聞いてもみました。家族が責任を持ちますから、現場で服薬をやめさせて下さい。もしも母の衰弱が副作用の影響だとしたら、皆さんは八十五歳の高齢者に毒を飲ませていることになるのですよ」

 そこまで詰め寄っても職員は薬をやめるとは言いませんでした。

「分かりました。ご家族の強い意向を先生に伝えます」

 結局現場は、医師というよりも、自分たちの雇用主には逆らえないもののようです。


 優先順位を間違えるなという妻の声が翌朝になっても私の頭の中に響いていました。メマリーは朝食後の服用です。一回でも飲ませたくない私は、執拗だとは思いましたが、電話口に昨夜の職員を呼び出して、今朝は飲ませてはいないでしょうねと念を押しました。職員は既に医師に相談したらしく、

「ご家族がそこまでおっしゃるのなら、メマリー投与は中止すると先生はおっしゃっています。ただ…」

「ただ?」

「少しずつ増量して既に三か月体内に蓄積した薬を突然断つと、体調を崩されるので、同じ期間かけて徐々に減らして行くということです」

「今朝は?今朝は飲ませましたか?」

「いえ、今朝は私どもの一存でまだ飲ませてはいません」

「有難うございます。私たちそのことは先生には言いませんので、明日も絶対飲ませないで下さい。私はメマリーが徐々に減らすべき薬かどうか調べてみます」

 先生の指示は一度破るのも二度破るのも同じですからね…と言い添えて、私たちは早速メマリー中止の方法について情報を集めました。三ヶ月かけて増量した薬を、さらに三ヶ月かけて減量して行くということは、これほど副作用の顕著なメマリーが、母の体内に半年間入り続けることになるではありませんか。

 誰に聞いてもメマリーは徐々に減らすべきだという情報はありませんでした。それでもまだ医師がそう言う以上は、何らかの理由があるのかも知れないという気持ちが残っています。医師という専門職には、それだけの権威があるのです。

「私、おおもとに聞いてみる!」

「おおもとって?」

「製薬会社よ」

 妻の行動力には舌を巻きます。インターネットでメマリーの製造元である第一三共製薬株式会社の電話番号を調べたかと思うと、もうダイヤルして、ことの経緯を説明していました。

 製薬会社の回答は明快でした。

 メマリーを少しずつ減らす理由はなく、患者にそんな変化が見られるのであれば、直ちに中止すべきである。

「家族から副作用が指摘されているにもかかわらず、服用させ続けるなんてありえないって言ってた」

 妻は興奮して言いました。

 そこへタイミングよくグループホームの職員から電話が入りました。現場レベルでメマリー服用を中断することには限界があると考えた職員がオーナー医師に判断を委ねたのでしょう。医師から話しがあるので本日午後二時に直接クリニックに連絡が欲しいという内容でした。