専門職の条件

平成27年06月26日(金)

 複数の知人の尽力で、私のマンションから車で三十分ほど離れた場所に、評判のいいグループホームが見つかって、母は転居することになりました。今度の経営者は医師ではありません。転居の日、車に荷物を積み終えて、お別れの挨拶をする母を、他の入居者たちは全員、立ち上がるでもなく、なごりを惜しむでもなく、居間のテーブルの所定の場所に腰を下ろしたまま、風景を眺めるように眺めていました。副作用の一覧にあった、活動性の低下という項目が脳裏をよぎりましたが、他の入居者にまで関心を持つゆとりはありません。

 不安な表情の母を乗せて、新しいグループホームに向けて出発した私は、母の故郷の名物を土産にしようと思いつき、町の商店に立ち寄って物色しながら、

「母が故郷を離れることになりましたので、何かここならではのものを持たせてやりたいと思いまして…」

 世間話のつもりで交わした会話は思いがけない展開を見せました。

「お母さんは今までどこに?」

 私がグループホームの名前を告げると、それだけで事情を察したのでしょう。

「あそこに入ると、皆さん弱られるでしょ」

 女性店主は眉を寄せて、

「たくさん薬が出ますからねえ。隣りのお爺さんは、あそこに入って見る見る体調を崩されて、市民病院で亡くなりました。怖いですよ、年を取ってからの薬は…」

 小さな町の住民は批判的発言をすることには極度に慎重ですから、情報は水面下に潜って表には出てきませんが、少しでも利用者の側で関係した者は、母が暮らしたグループホームの特徴を知っているのです。だとしたら、利用者に介護サービスを紹介することを職務とするケアマネジャーは、巷で囁かれているホームの風評を知っているに違いありません。そこで転居の報告とお世話になったお礼を兼ねて、グループホームに入居するまで母を担当した居宅のケアマネジャーにメールをし、今度入居するところは、むやみに薬を使わないグループホームなので安心である旨を伝えると、

『お母様は薬を服用するようになったのですか?』

 ケアマネジャーは商店の店主程度の情報も持ち合わせてはいないようです。

『ホームの特徴はご存じないのですか?』

 という問いに対しては、

『入居されると、ご本人やご家族とお話しする機会がなく、今回は貴重な情報をありがとうございました』

 自らの不明を恥じるところのない明るい返事が返って来ました。ようやく入居したグループホームをわずか三ヶ月余りで転居するについては、よほどの事情と経緯があるに違いないというふうには、まだ若いケアマネジャーの想像は及ばないようです。

 グループホームも含めて、施設は密室です。ケアマネジャーの公正性と利用者側に立った職務の遂行を確保するために、頻繁に研修が実施されていますが、利用者が施設に入所したとたんに密室のケアマネジャーに変更になる現在のシステムには問題がありそうです。せめて月に一度のモニタリングの一環として、居宅のマネジャーが入所後の利用者の様子を見る機会が設けられていれば、外部の専門職の目が入るという意味で、双方に緊張感が生じ、今回母が経験したような事態は回避されたのかも知れません。現実にはサービスの絶対量の不足によって、入所を依頼する側より引き受ける側の方が優位に立っているとしても、施設の選択に当たって、利用者家族の適切な判断を促すために、とりあえず講じることのできる唯一の制度的改善点であるのかも知れません。


 母のグループホーム転居を巡る一連の経緯を追いかけることによって、認知症患者の施設ケアに関する古くて新しい問題が見えて来ました。『医療と福祉の連携』。昔から使い古されたわずか八文字の言葉の持つ意味の重さは、抽象的に理解したつもりになってはいけません。医師は十分な診察を行わないまま機械的に薬を投与するような安易な習慣に陥ることを、厳に戒めなくてはなりません。ケア現場の職員は、服薬の効果と副作用についての丁寧な観察結果を医師に報告し、その意味において治療スタッフの一員であることを自覚すべきであって、いやしくも医師に隷属する立場に甘んじてはなりません。医療は進歩し、その必要性はいよいよ増して行きますが、薬には必ず効果と副作用があることを忘れてはなりません。体力や抵抗力や内臓機能だけでなく、認知機能まで衰えた高齢者にとって、副作用は命取りになる可能性があることを、全ての関係者が自分の親に起きる問題のように認識する必要があるのです。つまるところ医療も福祉も、人間のケアを巡る領域には、目の前の人を単なる患者や利用者としてではなく、固有名詞を持つ一人の人格として、きちんと向き合う姿勢が問われています。目の前のクライエントを、かけがえのない人として個別化できる姿勢こそ、国家資格の有無以前に専門職を成立させる基本的資質であるべきだと改めて思っています。

 なお、この文章は、一人の入居者の家族が経験した主観的事実を表現したものであり、医師には医師の、グループホームの職員には職員の言い分があるでしょうが、それを率直に話し合えなかった経緯そのものの中に、実は最も改善の難しい、医療を頂点としたパターナリズム体質があるのです。

 ちなみに、メマリー服薬を中止して三週間…。新しいグループホームに移った母は、足のむくみも改善し、歩行もおおむね元に戻って、職員たちの前で得意の民謡を踊って見せたという報告を受けました。