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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第五十七回》ふるさとの文化財

    大応国師倚像だいおうこくしいぞう
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成17年12月15日

    この像は長淵3丁目にある玉泉寺の本堂にまつられています。 椅子に坐し、衣と袈裟けさを前に垂らして手に払子ほっすを持っています。 像高は61.5㎝ほどで桧材の寄木よせぎ造り、彩色が施され玉眼(水晶)入りの穏やかな顔だちです。 制作年代は室町時代とみられ、裳懸部もかけぶの裏に墨書で元和げんな3(1617)年に修理したことが書かれています。 市内に数少ない木彫りの祖師像であり、年代も古く作りも優秀なことなどから、昭和39年に市の有形文化財に指定されました。

    大応国師は南浦紹明なんばじょうみょうという名で鎌倉時代の臨済宗の僧です。 駿河国(静岡県)で生まれ、鎌倉建長寺の開山・蘭渓道隆らんけいどうりゅうに参じた後、宋の時代の中国に渡り虚堂きどう 智愚ちぐのもとで禅を究めました。 文永4(1267)年に帰朝し、しばらく建長寺の蘭渓道隆のもとにいました。 その後、九州は大宰府の崇福寺そうふくじに住し臨済禅の厳然とした修行の指導を行ない30年の永きにわたりおおいに力を発揮しました。 その名声を聞いた亀山上皇は京都の万寿寺に南浦を手厚く招き入れました。 万寿寺に入寺した時に、のちの京都の大徳寺を興す宗峰妙超しゅうほうみょうちょうが侍していました。

    上皇が崩御した後は、執権北条貞時の請いを受けて、宗峰とともに建長寺に戻り第13代目の住持となりましたが1年後の延慶えんきょう元(1308)年に亡くなりました。

    帰朝後40年以上ひたすら禅修業に励み弟子は千人を越えたと伝われ、歿後ぼつご、後宇多上皇により「円通大応国師」の勅謚ちょくしを賜り、これが国師号の初めと云われています。

    玉泉寺は、南浦より少し後に、建長寺の17代目住持になった太古世源たいこせげんによって開山されました。

    玉泉寺は多摩バス長淵駐在バス停下車徒歩3分です。

    市文化財保護指導員
    棚橋 正道
     参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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