この像は長淵3丁目にある玉泉寺の本堂に奉られています。 椅子に坐し、衣と袈裟を前に垂らして手に払子を持っています。 像高は61.5㎝ほどで桧材の寄木造り、彩色が施され玉眼(水晶)入りの穏やかな顔だちです。 制作年代は室町時代とみられ、裳懸部の裏に墨書で元和3(1617)年に修理したことが書かれています。 市内に数少ない木彫りの祖師像であり、年代も古く作りも優秀なことなどから、昭和39年に市の有形文化財に指定されました。
大応国師は南浦紹明という名で鎌倉時代の臨済宗の僧です。 駿河国(静岡県)で生まれ、鎌倉建長寺の開山・蘭渓道隆に参じた後、宋の時代の中国に渡り虚堂 智愚のもとで禅を究めました。 文永4(1267)年に帰朝し、しばらく建長寺の蘭渓道隆のもとにいました。 その後、九州は大宰府の崇福寺に住し臨済禅の厳然とした修行の指導を行ない30年の永きにわたりおおいに力を発揮しました。 その名声を聞いた亀山上皇は京都の万寿寺に南浦を手厚く招き入れました。 万寿寺に入寺した時に、のちの京都の大徳寺を興す宗峰妙超が侍していました。
上皇が崩御した後は、執権北条貞時の請いを受けて、宗峰とともに建長寺に戻り第13代目の住持となりましたが1年後の延慶元(1308)年に亡くなりました。
帰朝後40年以上ひたすら禅修業に励み弟子は千人を越えたと伝われ、歿後、後宇多上皇により「円通大応国師」の勅謚を賜り、これが国師号の初めと云われています。
玉泉寺は、南浦より少し後に、建長寺の17代目住持になった太古世源によって開山されました。
玉泉寺は多摩バス長淵駐在バス停下車徒歩3分です。
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