掲載日 平成24年3月15日 |
大名などが、寺院から鐘を借りる時、借りたことを証文として寺に残したものが、「 借用状は、高さ29.5cm、幅45cmの大きさです。そこには、「依天下御弓矢達、當寺之鐘御借用ニ候、速ニ可有進上候、御世上御静謐之上、被鋳立可有御寄進間、為先此御證文、其時節可被遂披露旨、被仰出者也、仍如件 天正十六年戊子正月五日 長淵玉泉寺」と書かれています。簡略して述べると、「世の中が落ち着いたら、必ず新しい鐘を鋳造して寄進するから、軍用として鐘を差し出すように。その際は、この証文を出すように」という内容です。この証文が書かれた天正16年正月は、西暦1588年です。 当時の世情についてみると、天正10(1582)年6月に織田信長が本能寺の変で他界した後、家臣の羽柴秀吉が後継者となりました。以降、天下を統一する 一方の北条氏は防御に努めるため、武器の材料となる金属を集めました。その際に出された書状のひとつが、寺に保存されている鐘借用状です。 玉泉寺へはJR河辺駅から西東京バス「小作駅西口」行に乗り「長渕駐在」下車徒歩3分ですが、本借用状は非公開です。 | |
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市文化財保護指導員 角田 清美 | ||
参考資料 『青梅ゆかりの文化財』より |
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