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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第百三十二回》ふるさとの文化財

    鐘借用状かねしゃくようじょう玉泉寺ぎょくせんじ
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成24年3月15日

    大名などが、寺院から鐘を借りる時、借りたことを証文として寺に残したものが、「鐘借用状かねしゃくようじょう」です。市内では、長淵三丁目の玉泉寺と成木一丁目の安楽寺に、それぞれ鐘借用状が残されています。ここでは、玉泉寺に保存されている「鐘借用状」を紹介します。

    借用状は、高さ29.5cm、幅45cmの大きさです。そこには、「依天下御弓矢達、當寺之鐘御借用ニ候、速ニ可有進上候、御世上御静謐之上、被鋳立可有御寄進間、為先此御證文、其時節可被遂披露旨、被仰出者也、仍如件 天正十六年戊子正月五日 長淵玉泉寺」と書かれています。簡略して述べると、「世の中が落ち着いたら、必ず新しい鐘を鋳造して寄進するから、軍用として鐘を差し出すように。その際は、この証文を出すように」という内容です。この証文が書かれた天正16年正月は、西暦1588年です。

    当時の世情についてみると、天正10(1582)年6月に織田信長が本能寺の変で他界した後、家臣の羽柴秀吉が後継者となりました。以降、天下を統一する趨勢すうせいで、翌天正11(1583)年の賤ヶ岳しずがたけの戦い、小牧・長久手の戦い(1584)、四国平定(1585)、九州平定(1587)などを経て、残すところは、関東地方を支配している小田原の北条氏を降伏させる状況となりました。

    一方の北条氏は防御に努めるため、武器の材料となる金属を集めました。その際に出された書状のひとつが、寺に保存されている鐘借用状です。

    玉泉寺へはJR河辺駅から西東京バス「小作駅西口」行に乗り「長渕駐在」下車徒歩3分ですが、本借用状は非公開です。

    市文化財保護指導員
    角田 清美
     参考資料
    『青梅ゆかりの文化財』より
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