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  • 更新日 2013年7月24日
  • 青梅市「広報」より
    《第百三回》ふるさとの文化財

    玉泉寺ぎょくせんじ青石塔婆あおいしとうば
    【青梅市指定有形文化財】
    掲載日 平成21年10月15日

    青石塔婆あおいしとうばは、秩父古生層から産出される緑泥片岩りょくでいへんがんという、柔らかく剥げやすい石を加工した石製の卒塔婆そとばで、一般に「板碑いたび」と呼ばれています。インド古代文字の種子しゅじや造立年月日が刻まれています。東国武士とうごくぶしが政治権力を掌握した歴史を背景に、鎌倉時代の初めごろ出現し、東国に生を受けたとされています。

    卒塔婆は元々は木で作られていて、これを石で作ったのは、永く保存しようとしたためだと考えられます。しかし、板碑が作られたのは室町時代の末までで、近世には姿を消してしまいます。まるで中世の落し子です。

    風雨にさらされ、割れたり、石のかけらのようになったものもありますが、市内からは千数百基の残存する板碑が確認されています。入間川や荒川の上流から切り出された緑泥片石が、秩父から峠越えの鎌倉街道や、入間川・多摩川の水運を利用して運ばれたものでしょう。このうち十基が「青石塔婆」として市の有形文化財に指定されています。正応元年(1288)~天文十二年(1543)の間に造立されたものです。

    長淵の玉泉寺と周辺には、鎌倉・室町時代の板碑58基が現存していて、このうち玉泉寺山門の右手墓地の奥にある、正応元年七月廿六にじゅうろく日の紀年銘が刻まれた青石塔婆が市の有形文化財に指定されています。鎌倉初期に特有な大型青石塔婆を代表するもので、紀年銘が刻まれた青石塔婆としては市内で最も古いものです。横に並立している青石塔婆は表面の摩耗が激しいため紀年銘は不詳ですが、その様式から板碑初発期である建長年間(1249~1256)の造立とみられています。

    玉泉寺は、西東京バス「長淵駐在」バス停下車、徒歩3分の長淵3丁目地内にあります。

    市文化財保護指導員
    久保田 繁男
     参考資料
    『青梅文化財・史跡・天然記念物』より
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