掲載日 平成21年10月15日 |
卒塔婆は元々は木で作られていて、これを石で作ったのは、永く保存しようとしたためだと考えられます。しかし、板碑が作られたのは室町時代の末までで、近世には姿を消してしまいます。まるで中世の落し子です。 風雨にさらされ、割れたり、石のかけらのようになったものもありますが、市内からは千数百基の残存する板碑が確認されています。入間川や荒川の上流から切り出された緑泥片石が、秩父から峠越えの鎌倉街道や、入間川・多摩川の水運を利用して運ばれたものでしょう。このうち十基が「青石塔婆」として市の有形文化財に指定されています。正応元年(1288)~天文十二年(1543)の間に造立されたものです。 長淵の玉泉寺と周辺には、鎌倉・室町時代の板碑58基が現存していて、このうち玉泉寺山門の右手墓地の奥にある、正応元年七月 玉泉寺は、西東京バス「長淵駐在」バス停下車、徒歩3分の長淵3丁目地内にあります。 | |
---|---|---|
市文化財保護指導員 久保田 繁男 | ||
参考資料 『青梅文化財・史跡・天然記念物』より |
||