掲載日 平成27年2月15日 |
今から64年前の昭和26年、青梅市立第一中学校の玄関側で下水道工事が行われた時、地下約70㎝の所から写真のような縄文式土器が発見されました。 これは、今から4千500年位前の縄文時代中期後半、 また、チューブから押し出されたようなひも状の粘土を使い、同じ紋様で胴部に数か所、胴部と頚部の境目には一周、そして頚部全体を放射状に区分するため、それぞれ貼り付けられています。 口縁部の直径は約35㎝、頚部の直径約20㎝、底部の直径約23㎝で縄文が付けられた胴の部分の高さは9.5㎝、全体の高さは約20.5㎝です。 土器の本来の姿は、底部から口縁部の一体で作られて利用されたはずですが、この土器は胴部の途中で切った状態で発見されました。 これは、囲炉裏の火囲いに使われていたものと考えられます。 日常生活で利用していた土器の底部が抜けてしまったり、ひびが入ったり、部分的に壊れたりしてその利用が困難になった場合、土器本体を途中まで割ってしまい、その割れ口を整えて再利用するというものです。 このように二次的に利用された土器は今までにも、山の神戸遺跡、杉平遺跡、駒木野遺跡、岩蔵遺跡などで発見されており、復元したものは個人藏もしくは郷土博物館に収蔵されています。 昭和20年代半ば以降青梅市で考古学的な分野にも目を向け始められた頃、市内の遣跡は日向和田の崩れ橋遣跡や梅郷の杉平遺跡、小曾木の岩蔵遺跡、成木の小中尾遺跡などが注目されていたなか、この発見は当時としては市で出土した土器としては最も代表的な縄文式士器であることを理由に昭和39年11月3日に青梅市有形文化財に指定されました。なお、この土器は現在、一中で収蔵しており、一般には非公開となっています。 問い合わせ 郷土博物館☎23・6859 | |
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市文化財保護指導員 鈴木 晴也 | ||